『鳴潮』をやめた。
2024年のリリース当時からやっていてなんだかんだ20万円ぐらい課金したのだが、ここ最近、愛想が尽きてしまった。かつては楽しんでやっていたのだが、もういいやと思える場面が多くなり、引退に相成った。

やめた理由は自分としては意外なもので、バトルがつまらなくなった、ということになる。
この手の話はたいてい、物語への批判や運営体制への不満などがあがるのだが、私はそこはそんなに気にしていない。ツッコミ所は多少あれど、まあ別にいいじゃん、ぐらいの気持ちだったのだ。というより、こういった部分はかなり評価できると思う。
それこそ、かつて鳴潮は「ストーリーがクソ」と言われていた。それ以外のグラフィックや、頭身高めのキャラによるF2Pオープンワールドのゲーム性はかなり好評だったが、肝心の物語は微妙というのが共通認識だった。
しかし、本作はかなり丁寧なアプデが繰り返されており、その過程で物語にも大幅な刷新が入った。アプデの質は高く、不満のほとんどは改善されつつある。当初と今の鳴潮は、良い意味で別ゲーになってさえいるほどだ。今州で飛べるようになるなんて、一体誰が想像しただろう?
ただ、そんなフィードバックを受け入れてくれる良質アプデが進むにつれて、ひとつだけ変になっていったものがある。
バトルだ。
鳴潮のバトルはそれがキモであるということで、はじめこそアクションゲームとして突き詰められたデザインのように感じられた。回避、パリィ、コンボ、連携・・・・・・輝く要素は確かにあった。そして実際、楽しんでいた気がする。
しかしいつからか、バトルは退屈で、つまらないと思うようになった。
エフェクトは派手になり、グラフィックのクオリティは上がり、モーションも非常に凝ったものになっているのに、その中身だけが空虚に感じるようになった。
相手の攻撃を見て、回避し、そして適宜反撃する・・・・・・そんな命の取り合いを演出するような戦闘は、いつからか「あらかじめ決められたコンボやローテーションを無心でこなすだけのもの」になった。
バフという制限時間にとらわれ、被弾前提で同じことを繰り返す。それがどういう場面であれ、決められたことをただなぞるのが最適解に思えるような設計。そこにおいて、相手の存在というのは些末なものになっていた。
私はここが受け入れがたく、愛着のあった今汐、カルテジア、ガルブレーナに別れを告げた。あとアンコちゃんにも。
鳴潮はすさまじくリッチなゲームだ。あまりにも豪華絢爛なバトル(それだけではないが)は、パッと見だと楽しい。しかし、アクションゲームとしてはどうなんだという、奇妙な不和を抱えている。
では、鳴潮のバトルの何が問題なのだろう?
本記事では、アクションゲームの楽しさという本質は相手への対応ではないか、という論点でこの問いを見ていきたいと思う。
派手に悪化したバトル
2024年当時、1章をやっていた自分に今の鳴潮のキャラを見せたら、きっと大いに驚くことだろう。かつての限定勢はビームを撃ったり、龍をまとわせて演舞することはあっても、異空間に城を召喚するなんてことはなかった。
津波を操ってそれを割るとか、過去の英雄の剣を束ねて攻撃するとか、呼び寄せた鳥居から風圧が出るとか、とにかく今の鳴潮は派手だ。昔のキャラも共鳴解放(必殺技みたいなの)は壮大だったが、現役勢はそもそも通常攻撃ですらリッチになっている。
これらは、確かに触り心地の良さという点では大いに貢献している。しかし、やっている(振っている)とこう思う。
敵が見えねえ。
本当に見えない。派手なエフェクトと特殊カメラのせいで、当たっているのかがよくわからない。いや、ダメージは出ているから当たっているのだろうが、視認できない。アクションゲームなのに、「たぶん食らっているんだろう」というアバウトさで立ち回っている。
昔は、通常攻撃はただ斬ったり殴ったりというもので、ゆえにキャラの動向を視認しやすかった。そしてエフェクトで相手が潰れることもあまりなく、攻撃と相手のモーションへの読みが両立していた。
しかし今は、はっきり言って戦闘中に何が起きているかよくわからない。にも関わらず、敵が見えていなくても戦闘自体は成立してしまう。
瞬間移動、高速機動、めまぐるしいカメラに派手派手ビカビカなエフェクト・・・・・・そしてひとりだけでなくパーティー全体がこうだと、混ざりに混ざりあって「なんかすげえバトル」をプレイヤーは外野的に眺めているだけになる。

実に不思議だと思う。自分が操作しているのに疎外感があるのだから。
ここが、鳴潮の戦闘に気乗りしなくなった理由として大きい。いわば自己効力感がない・・・・・・なんかポチポチしてるだけ、というのに面白さを感じられなくなったのだ。
確かに最初こそは盛り上がる。うおおおすげえと、シンプルに思う。だけど、それは自分が操作しているというより、発動したらそうなっている、という半自動化のようなもので、ややもそこにはプレイヤーの介在を感じられない。
そして、これは単に操作形態だけの話ではない。今の鳴潮のバトルそのものが、かなり半自動化という流れをくんでいる。
では、そんなよくわからない戦闘を、私はどうこなしていたのか。相手が見えないのに、なぜ高難度をやり切れたのか。この立ち回りに、鳴潮におけるバトルの特殊性と問題点が浮き上がってくる。
鳴潮のバトルの基本とその変化
鳴潮は3人パーティーでバトルを行う。アタッカー、サブアタッカー、サポーターという役割分担で戦闘を円滑に進めていく・・・・・・いわばロール分けされた構造だ。
この仕組みのキモは、ローテーションにある。たとえばサポーターは「被弾したときだけ交代して回復」というわけではなく、必ず順番が回ってくるバフ担当だったりする。とにかく目まぐるしく入れ替える、これが鳴潮だ。

一例を考えよう。
まずはメインアタッカーが適当に殴り、すぐにサポーターに切り替えて終奏スキル(交代技)まで持ちこたえる。そしてサブアタッカーに入れ替えて同じくしばらく殴る。準備ができたらメインアタッカーが変奏スキル(入れ替え技)で入場し、サブアタッカーのバフをもらって大ダメージ。
これが、今も昔も変わらない鳴潮の基本戦闘だ。
メインアタッカーの火力というのはすさまじく、だからいかにしてローテーションをサクサク回し、バフ盛りメインアタッカーの出場時間を長くするか、が火力向上の考え方だった。サポーターやサブアタッカーはどうしてもオマケでしかなく、早く入れ替えたい。
私はこの仕組みがかなり好きだ。誰か1人だけじゃダメで、組み合わせや構成によって可能性が広がる・・・・・・独立した個人ではなくパーティーとしてのあり様を意識した戦闘が、物語にもつながっていてとても良い(QSというテクニックもあるが割愛)。
かつて、キャラ性能もかなりこれに則ったものとなっていた。例として、私の好きなキャラに今汐という女性がいるので紹介したい。

今汐は端的に言うと、控えにいる時にゲージが溜まり、表に出たらさっさとビームを撃ってまた引っ込むというメインアタッカーだ。これはすごい変で、ずっと表で使うということは立ち回りとしてアウト(ダメージが出せない)という扱いになる。
彼女の単騎性能はかなり低い。おそらく、同様の限定キャラとしては最下位に位置するレベルだろう。しかし、相性の良い仲間とさえ組めば、まさしく必殺の一撃で相手を殲滅できる。
今汐は特に、この三位一体のバトルを体現した性能をしていると思う。メインアタッカーなのに出番は極小(しかしダメージは極大)、くわえて味方依存が非常に強いのだから。
さて、この構造は最新版においても共通で、メインアタッカーをヨイショするために他がいる、というのは変わらない。
しかし、現在の戦いは非常に窮屈なものになってしまっている。というのも、この三位一体のローテーションという基礎が自縄自縛を起こしているのだ。
バフにとらわれた戦い
かつて鳴潮のバフは、あくまでメインアタッカーをより輝かせるための秘策だった。たとえば物理ブースト(14秒間)をメインアタッカーに回したら、その間に強い技を完走する手腕がプレイヤースキルだった。
このノリは今も同じだ。しかし、昔と今で明確に変わったのは、誰もが時間制限のバフを次のキャラに渡しているという構図だ。これにより、全員がリミットに追われたローテーションを必死にこなすようになった。
初期キャラ編成となる散華、ヴェリーナ、アンコの組み合わせで考えてみよう。彼女たちの持つバフは以下だ。
- 散華:14秒間のダメージブースト
- ヴェリーナ:30秒間のダメージブースト(+回復)
- アンコ:ダメージエリアを生成
まさに昔の鳴潮という感じがする。この構成だと、散華→アンコの遷移はバフの時間内にコンボを完走する必要があるが、それ以外はゆったりとしたものだった(もちろん、アンコになるべく出番を回すという意識は必要だが)。
そしてアンコの攻撃時間を無駄にしないよう、散華のターンで相手を削ったり、パリィしたりといった調整も戦略として成り立った。相手との対峙、戦いがそこには存在していた。
もちろん、ベストは最短ローテで回すことだ。しかしそれを必ずしもやる必要はなかった。本当に重要なコアタイムがあり、それ以外の逸脱はマイナスに響きづらかったのだ。
では最近の構成はどうだろうか。エイメス、リンネー、モーニエの震撃協和組を見ていこう。
- エイメス:20秒間のダメージブースト
- リンネー:14秒間のダメージブースト(+ダメージ)
- モーニエ:30秒間のダメージブースト
秒数のバラけかたはあれど、誰もがダメージブーストを要しているのが分かる。この比較における昔と今の違いは、単にバフの数が増えたことではない。
かつてはサポーターやサブアタッカーが多少回り道をしても、メインアタッカーの主力攻撃さえ間に合えば大きな問題にはならなかった。
しかし現在は、それぞれのキャラが自分の持ち時間の中で必要な攻撃を済ませ、次のキャラへつなぐことを要求される。つまり、時間に追われるのがメインアタッカーだけではなくなった・・・・・・メインアタッカーだけが殴ればいいという状況でもなくなった、ということになる。
確かに、そもそもこのゲームにおける火力は「サブアタッカーがどれだけ強いか」という側面があった。実際、上述した今汐が環境についていけず、やや微妙だったのは相方がそこまでパッとしないからだったのはある(心の実装でかなりマトモになったが)。
しかし、それでもあくまで主力はメインアタッカーであり、だからこそ、そこへいかにつなげるかが重要だった。
避け得ないインフレに伴い、メインアタッカーだけでは厳しい、ということを打破する方向性として発生したのが、全員が疑似的にアタッカーとして参戦するという構造だった。
それこそ初期のサブアタッカーなんて悲惨な火力なのだが、いつからかサブアタッカーは「サブ?」と思うぐらい強くなった。記憶に強くあるのはユーノで、「サブとは一体・・・・・・」と思ったのをよく覚えている。
誰もが火力を出せるようになり、そしてその前提の耐久になった。そこからさらに生まれたのが、バフ内で行動を完結し、それを次のキャラも行う、という最適化・・・・・・つまり、誰もがメインアタッカーのつもりで動く必要性だ。
メインアタッカーだけちゃんとした踊りをこなすのではなく、チーム全体でステップを間違えずに踊り切ることが面白いのではないか・・・・・・そう言わんばかりの変更が徐々に起きていったのだ。

極端に言うと、鳴潮の戦闘の流れはこうなる。
- 1:スキルを使う
- 2:共鳴解放を撃つ
- 3:光っているスキルを全部押す
- 4:交代
- 5:時間内に同じことをする
キャラによっては交代で即時共鳴解放だったりとやや変わるが、いずれにせよ結局はこの流れから外れない。そして、この仕組みから分かる通り、そもそも1キャラが長時間戦うことを前提に作られてはいない。
やむを得ず通常攻撃をペチペチやる区間もあったりするが、それはもうミスっている状況に近かったりする(サブステが足りてないなど)。さっさと出してさっさと帰るのが今のトレンドだ。
これは確かに、三位一体の戦闘としては正しい。全員をフル出場させて戦う・・・・・・これは妥当だし昔もそうだった。
しかし、全員を火力源として使うということが前提にありすぎるせいで、バフという事実上の制限時間が動きを固定させてしまっている。
これがまさに自縄自縛だ。味方を強くするはずの限定的行動を誰もが行うことにより、逸脱の許されない立ち回りを暗に強制させられる。ここに、鳴潮のバトルにおける根本的な問題を感じる。
「余計なことをするな」
受け取ったバフの時間内に理想的な行動(入れるべき攻撃)を完走する・・・・・・これに囚われた鳴潮のバトルは、相手への意識も歪ませる。
アクションゲームの妙というのは不確実性だ。相手の行動に対応し、ここは回避、ここは攻撃と分岐する展開を飲み込むのが立ち回りであり、プレイヤースキルだった。今のはこうすべきだったな、という反省も、結局は対応ミスが原因だ。
しかし鳴潮は、相手が見づらいエフェクトも相まって、エネミーの行動によって応対するということを実質放棄している。そりゃあからさまな攻撃などは回避するにせよ、基本は「やられる前にやる」ぐらいの意識だ。なんなら被弾前提ですらある。
本作のバトル、特にエンドコンテンツにおいて私が思っていたのは「ただ殴られてくれないかな」ということだった。
処刑者、というモブがいる。これはいわゆるスーパーアーマー持ちで、怯みが取りづらい。他にもこういった敵は多いのだが、総じてこの手の敵にはヘイトがたまる。
しかし、スーパーアーマーというのは他ゲーだとそこまで不愉快に思わない。そもそも怯まないんだからそれに応じた戦い方をすればいい、というのは自明だ。
じゃあなぜ鳴潮では不愉快度が高いのか。それがまさに、バフの時間制限問題にぶつかる。
14秒間というのは、実際にローテーションを行うにはギリギリで、そしてキャラによっては重たい攻撃を行うまでに助走が必要だったりする。となると、相手は怯んでくれないと困るし、それを踏み倒してこちらを殴ってくるのは「やめてほしい」のだ。
ただ、これは変な話だ。相手には相手の行動があり、それを加味するのがアクションゲームなのに、鳴潮では「ただ黙って殴られる」以外のモブへのヘイトがすさまじい。
これはもちろん、バフの時間がもったいないからということなのだが、もっと根底の部分にひとつの気持ちがあるのではないか。それは「損をさせないでほしい」というもの。
決められた手順を正確にこなせば想定どおりの火力が出る。しかし、殴られて時間を失えば、そのぶん火力が落ちる。プレイヤーは新しい成功を獲得するというより、予定された成果を失わないために行動するようになる。
ここが窮屈さの正体ではないか?
いわば鳴潮のバトルは減点法だ。バフの時間中に完走するのがデフォであり、そこで漏らした攻撃、被弾したこと、これらが「本来取れるはずだったダメージ」から減算され、そこに喪失感と苛立ちを覚える。

スーパーアーマーに憎しみの気持ちが出るのは、それが理不尽だからではなく、無粋にも自分の踊りを邪魔するからなのだ。
黙って見てろ、大人しく殴られていろ・・・・・・そんな気持ちが、いつの間にか生まれるようになっていた。
さて、こうなると、バトルにおける最重要は時間内に殴ることになる。
だから、殴る以外の時間は無駄に近い・・・・・・この発想のせいで割を食う行動も生まれた。それが、ジャスト回避とパリィだ。
ジャスト回避とパリィというハズレ行動
鳴潮においてジャスト回避とパリィは、特別にアドバンテージのある行動ではない。
これは、アクションゲームとしてはかなり違和感がある。実際、未プレイの友人にこの話をしたら驚かれた。そりゃそうだろう。普通はご褒美があるはずの偉い行動なのに。
一応言っておくと、これらの行動は厳密に言うと不利になるわけではない。ただ、「損をする」。ゆえにハズレ行動なのだ。
もちろん、攻撃される場面では回避が必要だし、パリィにも防御としての意味はある。しかし私が問題にしているのは、その行動が火力を伸ばすための積極的な選択になっているかどうかだ。
敵の攻撃を華麗にさばくより、攻撃される前に予定どおりのコンボを押し付けたほうがいい。そんな状況では、回避やパリィは戦闘を有利に進める技術というより、邪魔が入ったときの後始末になってしまう。
この奇妙な現象の原因にも、やはりバフの制限時間が関わってくる。
考えてほしい。棒立ちの相手へ綺麗に殴り切ってちょうど交代する(時間切れになる)場合、スローになり、コンボは途切れ、回避攻撃が発生するのは果たして美味しい行動だろうか?
あるいは、パリィを狙うために予兆を確認し、手を止めてわざわざそれに攻撃を合わせるのは、バフの時間を削ってまでやることだろうか?
つまり、これらの行動は「なるべくやりたくないもの」・・・・・・防御行動として正しい判断が、火力効率の面では不正解になるという不和を抱えている。
回避が旨味のないものというのはなんとなく伝わると思うが、問題はパリィだ。これは取って悪いことはないのではないか、そう思うかも知れない。
たしかに、取ることでこちらが不利益を被ることはない。しかしここで言いたいのは「別に取る必要もない」ということだ。
本作には体力ゲージとは別に、共振度と呼ばれるものがある。これを削り切ると相手が無防備になるので、本来はこちらも一緒に削っていく・・・・・・そのためのショートカットがパリィだった。

しかし、今現在これを意識しているプレイヤーはどれだけいるのだろう。少なくとも私は、これを考慮したことがしばらくない。
というのも、パリィせずとも攻撃だけで削れるし、共振度が与える好影響が限定的(動かなくなるだけ)。だから、それを戦闘の中心に置く必要性があまりないのだ。
そして、パリィの概念を忘れがちな原因の1つに、キャラのモーションが影響する。
最初に、本作のバトルはエフェクトが派手すぎてもはや敵が見えないと述べた。さて、そんな状況でパリィなんて狙えるだろうか?
今やメインアタッカー、サブアタッカーのみならず、初期組とは比較にならないほど攻撃の判定や持続が強くなった。するとどうなるか。ローテーションを回す過程で、「勝手にパリィしている」のだ。なんか弾いたな、みたいな感じ。
さて、こうなると鳴潮の強いキャラというのは単に火力があるということだけにとどまらない。強さ・・・・・・それは、「邪魔されないモーションを持つキャラ」にほかならないのだ。
スーパーアーマーを無視するようなモーション。それは浮いていたり、遠距離攻撃だったり、そもそも自分もスーパーアーマーだったり。たいていそういうキャラは判定も鬼なので、わずかなパリィチャンスも勝手に巻き込んでくれる。
この構造の中で、ジャスト回避やパリィというアクションは邪魔なのだ。
大前提にバフの制限時間がある。そして妨害されたくないという目的があり、それを成り立たせるために強力なモーションが限定キャラには実装される。適当に押すだけでなんかいい感じになる。
これは確かに手軽で気持ちいい。しかしこのせいで、ポチポチしてるだけ、という印象が強く刻まれてしまう。
では、派手になったと同時に虚無になったバトルは、そもそも何が問題なのだろう?
楽しいバトルとはなんだったのか
面白いゲームかくあるべき、という一般論は個人の価値観に依存する。そのため、最後は「なぜつまらなくなったのか」という部分を掘り下げたい。
初期と今を比較し、その要因を探すと、単に回避やパリィが意味をなさなくなったとか、キャラが無法になったからとか、エフェクトが見づらくなったからという部分は些末に思う。
結局のところ、戦闘の中心がアクション技術ではなく、ローテーションの実行になっているのが問題なんじゃなかろうか。プレイヤーが求める技術の種類が変わった・・・・・・ここに批判の中心がある。
カットインが入り、光っているボタンを押せばやるべきことは進む・・・・・・これはいわば戦闘の自動化だ。そこに自分はほとんど介在しない。なぜそれが起きるのかもわからないキャラすらいる。
ビジュアルはリッチで、アニメーションの品質は高い。しかし、それだけだ。アクションゲームというより、ちょっと触れるアニメみたいになってしまっている。
それは本当に、確かに手応えを感じていたあの頃の鳴潮の延長線上にあるものなんだろうか?
では、楽しいアクション、楽しいバトルとは何かを考えて終わりにしたいと思う。
それは、コンボを覚えるだけではなく、コンボをいつ、どこで、どう使うか判断するのが重要な駆け引きがあるものではないか。

現在の鳴潮では、敵が誰であっても、基本的には同じローテーションを実行することが優先される。敵の違いによって「どの技を使うか」を考えるより、「どうすればいつもの技を邪魔されないか」を考える。
それでは、敵が変わることにどれほど意味があるのだろうか。
鳴潮がつまらなくなったと感じるのは、派手になったからでも、ローテーションが存在するからでもない。それは昔からあるものだからだ。
変わったのはそれへの過度な依存ではないか。敵を見て、行動を選び、攻防を組み立てる・・・・・・その楽しさが、決められた手順を遂行することに押し出されてしまったからではないか。
何が来ても同じ。誰を使っても同じ。何をしても変わらない。結局やることは決められたローテーションの完走に帰結する。
対処の難しい行動をされたら、そこにあるのは突破の試行錯誤よりも「邪魔しないでほしい」というプレイヤー主体の不満のほうが大きくなる。
そんな繰り返されるルーチンをこなして、待ち受けるのが「退屈」なのは必然なのだ。
敵との対話が、独り言になった。
相手とのしのぎを削る戦いが、いつしか独演会になった。
そして、私は鳴潮をやめた。
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