「名前は聞いたことあるけどやったことはない」、そんなゲームは多い。噂ばかりが聞こえて、偏見だけが積み上がった作品・・・・・・その筆頭はおそらく『Sid Meier’s Civilization』じゃなかろうか。
通称Civと呼ばれる本作は、今や長く続いてシリーズ7作目を出している。この「7作」というのがもう触れづらく、そしてCivの「ザ・洋ゲー感」がそれをさらに後押しする。

市井、未プレイの人から、Civは概ねこう思われている。
- 世界史に詳しい人向け
- 頭のいい人がやるゲーム
- 覚えることが多そう
- 1プレイが異常に長そう
- 地味だがハマる人はずっとやっている
- 何が面白いのか、見ただけでは分かりにくい
特に最もよく聞く噂は「時間泥棒」だろう。そこから発展して「ハマったら終わらない恐ろしいゲーム」とも言われたりはする。
で、ファンからすると上記の偏見は合ってたり間違ってたりするなあという思いがある。ただひとつ正確なのは「時間泥棒」について。これはその通りだ。私は2日ぐらい飲まず食わずでやってたことがある。単位も落としかけた。
ただ、「中毒性のあるゲーム」と大雑把に括られるのも違うなと感じる。
Civは確かにメカニクスが複雑な深いゲームだ。初見バイバイに見えるが、実際はかなりシンプル。表面の単純さに、裏面の複雑さが同居している作品だ。
Civの面白さは、単に国を大きくしたり、戦争に勝ったりすることだけではない。与えられた条件の中で判断を重ねるうちに、自分だけの文明史が生まれ、やがて現実の歴史まで少し違って見えてくるのがキモだ。
ゲームから歴史の答えを学ぶのではない。歴史を見るときの問いを学ぶ。
遊びを通して現実の認識が変わる・・・・・・だいぶ稀有な現象を伴う作品だと思う。
ということで本記事では、その仕組みに触れつつ、どういうゲームなのかを紹介したい。詳しい解説ではなく「聞いたことあって気になる」という人向けに読み物として語っていく。
「4Xの王」とも呼ばれ、存在そのものがジャンルの説明にもなるガチ名作。Civはなぜこんなにも多くのファンを生んだのか?
何をするゲームなのか?
本記事では、Civの生誕やこれまでの経緯などの歴史は紐解かない。あくまでゲームの分析を行う。
まず、具体的にどのようなゲームなのか、これを紹介したい。
教科書的な回答としては、たいてい「歴史文明構築ストラテジー」なんて説明が返ってくる。
言葉から想像されるのは、人類史を俯瞰しながら、数千年先まで文明の未来を設計する壮大なゲームだ。都市を発展させ、科学技術を研究し、軍事や外交を駆使しながら、自分の文明を世界の頂点へ導いていく。
聞けば面白そうではある。しかし同時に、かなり重そうでもある。
覚えることが多そうだし、歴史の知識まで必要そう。資源管理や外交、軍事、科学といった大量の要素を理解しなければ、まともに遊ぶことすらできないように見える。
ゆえに、歴史とシミュレーションゲームの両方を好む、筋金入りのゲーマーに向けた作品だと思われても不思議ではない。
だが、実際はシンプルだ。文明構築といえど、実際にプレイヤーが考えることは、もっと小さい。
- 最初の都市をどこに置くか
- 市民を食料の多い土地で働かせるか、それとも生産力の高い土地に配置するか
- 兵士を作るか、建物を作るか
- 近くにある資源を取りに行くか
- 国境の向こうに現れた文明と仲良くするか、警戒するか
毎ターン行うのは、こうした目の前の判断だけだ。
「数千年続く偉大な文明を作ろう」と考えながらも、その実、国家全体を設計しているわけではない。やっていることは眼前の問題解決だ。
食料が足りないから農地を増やし、周囲が危険だから兵士を作り、土地が狭いから新しい都市を建てる。都市間の道路を整備し、技術開発によってより国を豊かにしていく・・・・・・こういうのが大半。

いわば『Stardew Valley』などで「今日は農作業するか」みたいなのとほぼ同じだ。違うのは、他国という変数が存在するということ。
そのとき必要なものを考え、今ある手札の中から最善を選ぶ。そして、そういった小さな判断を繰り返していると、いつの間にか国家に特徴が生まれている。
海に囲まれていたから船を作り、遠くの国々と交易する海洋国家になった。
隣国に何度も攻め込まれたから、軍事力と防衛を重視する国家になった。
領土には恵まれなかったが、科学技術に投資し続けたことで、時代の先を行く国家になった。
最初からそのような文明を目指していたわけではない。その場その場で必要なことを選んだ結果、あとから振り返ると、そこにひとつの文明の流れができあがっていたりするのだ。
Civにおいて、文明を作ることは必ずしも直接的な目的ではない。
都市を作る、人を働かせる、資源を取る、隣国の動きを見る、次に何が必要かを考える・・・・・・その繰り返しが、結果として文明になる。
だからCivの面白さは、「自由に自分好みの国を作れる」という単純なものではない。文明を作るぞという壮大な目的の達成ってことでもない。
目の前の問題に対応していただけなのに、そうした自分の判断の積み重ねが、いつの間にか他にはない文明史へ変わっていることにあるのだ。
ゲームとしてはシンプルな毎ターンの積み重ねが、立派な文明や歴史になる・・・・・・この、拍子抜けするほど簡単な操作がやがて数千年続く物語になるのが、Civ特有の快感だ。
では、都市を作り、人を働かせているだけなのに、なぜそれがいつの間にか「自分の文明」になるのか。
この仕組みを考えるには、まず本作を「歴史を再現するゲーム」と見なすのを改める必要がある。
Civは歴史再現ゲームではない
そもそも、本作は歴史を扱ったゲームではあるが、史実とは大いに異なる。
たとえば、あなたは仏教を創始した人を知っているだろうか。
ゴータマ・シッダールタだと思っただろうか。違う。エカチェリーナ2世だ。少なくとも私の歴史では。

・・・・・・というのはCivジョークなのだが、こんな感じに本作はかなり自由に歴史を改変できる。というより、歴史における事物や建物を好きに配置できるので、史実通りには当然行かずカオスが生まれる。ジャングルのど真ん中に東京があり、ニューヨークにピラミッドもあったりするぐらいだ。
古代に都市を築き、技術を発展させ、戦争や外交を重ねながら、やがて近代、現代へと進んでいく。その過程には実在した文明や指導者も登場するし、研究できる技術や建てられる建造物の多くも、現実の歴史をもとにしている。
そのため、見た目だけなら、歴史を再現するゲームに見える。
しかし、実際にはかなり違う。配置以外にも違う点はある。たとえばシステムだ。
Civはデザインの都合上、歴史上のあらゆることをかなり単純化している。ゆえに「歴史再現ゲーム」として語るには厳しい。
そもそも、国家を統治する指導者が数千年間変わらない時点でその前提は成り立たない。なんせ織田信長が生まれたのは紀元前4000年ごろだ。少なくとも私の歴史では。
古代に誕生した文明を、同じ人物が中世も近代も現代も導き続ける。王朝交代も政変も世代交代もなく、指導者は国家そのもののような存在として盤面に居座り続ける・・・・・・現実の歴史として考えれば、もちろんありえない。
あるいは、技術の発展も大幅に整理されている。
プレイヤーは、あらかじめ用意された技術ツリーの中から、次に研究するものを選ぶ。これはいわばスキルのようなものだ。解放すれば新しいことができる。しかし、解放には時間がかかる。
ある技術を研究すれば、その先に別の技術が現れる。必要な条件を満たしながら順番に進めていけば、文明は古代から現代へと発展していく。

分かりやすい構造ではある。だが、現実の技術発展はこれほど整然としていない。
実際の歴史では、1つの地域で生まれた技術が交易や戦争を通じて別の地域へ伝わることもあれば、まったく別の目的で行われた研究から、予想外の発明が生まれることもある。
たとえば火薬。これは錬金術の失敗として得られたものだ。あるいはマラリア薬のキニーネ。これによってできたのは合成染料だった。科学史的には、偶然が発見を生むのではなく、偶然に意味があると判断できたとき、発見になる。
けれど、Civではこういうの(偶然や副作用、地域間の影響)は単純化されている。もちろん、これはゲームの都合上仕方がないのだが。
また、社会の内側も同様だ。
本作に、国民ひとりひとりの生活や意見は存在しない。
- 領土を拡大したことを誰が歓迎し、誰が反対しているのか
- 戦争によって誰が利益を得て、誰が犠牲になっているのか
- 経済成長の恩恵がどの階層に集中しているのか
そうした違いは、ほとんど見えない。社会全体の状態は、主に「幸福度」というひとつの数字にまとめられる。
幸福度が高ければ国は安定し、低ければ成長や軍事に悪影響が出る・・・・・・だが、幸福度が高いからといって、国民全員が幸せなわけではない。反対に、不満が大きい国家の中にも、豊かさや権力を享受している人々はいるはずだ。
以上のように、歴史を形作る要素、そして現実の社会にある階級、地域差、民族、思想、宗教、政治的対立は、ゲームを成立させるためにかなり圧縮されている。
したがって、Civを精密な国家シミュレーターとして扱うことはできない。
ゆえに、このゲームを遊べば歴史上の出来事を正しく学べる、というものではない。技術ツリーを見れば文明発展の法則が分かるわけでもなければ、幸福度の数字から社会の実態を理解できるわけでもない。
Civの世界は、現実よりもはるかに単純で、整理されている。
だが、私が言いたいのは「これはダメですよ」みたいな野暮な話ではない。この圧縮を批判したいわけではないのだ。
そもそもこの単純さは、本作の歴史性を薄めているのだろうか。私は、むしろ逆だと思う。
現実の歴史は、あまりにも多くの要因が絡み合っている。
土地、資源、人口、技術、制度、宗教、文化、偶然、個人の判断。本来はすべてが同時に作用するため、ひとつの出来事がなぜ起きたのかを完全に説明することは難しい。
このゲームはそれらを大幅に削り、土地、資源、技術、軍事、外交といった限られた要素へ整理している。そして、単純化されているからこそ、プレイヤーは自分の選択と結果のつながりを認識できる。
- この土地に都市を作ったから、資源を確保できた
- 技術で先行したから、戦争を有利に進められた
- 領土を広げすぎたから、国家の維持が苦しくなった
- 隣国を放置したから、後になって大きな脅威になった
描かれるのは現実の歴史そのものではない。しかし、条件と判断がつながり、その積み重ねが国家の流れを作っていく感覚は残されている。
Civが再現していないのは、現実に起きた歴史そのものだ。
一方で再現しているのは、土地や資源や他国との関係に制約されながら判断を重ね、その結果が後から歴史として読める形になるという構造。史実の再現ではなく「歴史が生まれる形式の単純化」と言ったほうが近い。
文明は最初から決まっているのか?
となると、パズルやレゴのように史実を当てはめていくのがCivのように思える。だが実際は、思い通りにできるというものでもない。
その時々の判断の結果としてひとつの歴史ができる・・・・・・この解釈は後付ではなく、Civというゲーム性そのものを指している。
まず、本作では最初から理想の国家像を思い描き、そのとおりに国を作れるわけではない。思想ではなく単に攻略としてもこれは定石だ。
- 海洋国家になりたい:内陸から始まれば海には出られない
- 大帝国を築きたい:孤島に生まれたら厳しい
- 戦争反対で運営したい:大陸中央で複数国家に囲まれていたら危うい

つまり「やりたいこと」ではなく「やれること」を選ぶのが重要になる。
このゲームで最初に与えられるのは自由ではない。
土地、資源、隣国、海、山、砂漠、森林・・・・・・自分では選べない条件の中に置かれる。ここは完全に運だ。
だからプレイヤーが考えるのは、「どんな国を作りたいか」だけではない。むしろ重要なのは、「今あるものを使って、何ができるか」だ。
たとえば大陸中央に文明が生まれたとする。
周囲には複数の国家があり、どこへ領土を広げても誰かと接触する。軍事力を高めれば安全になるように見えるが、一国との戦争に集中している間に、別の国から介入される可能性もある。
この場合、軍隊だけを増やせばいいとは限らない。
同盟関係を作り、交易を行い、他国同士の関係を見ながら、自分が攻撃されにくい状況を整える必要がある。戦争に勝つ方法を考える前に、そもそも戦争を起こさせない盤面を作る。
それも国家運営の一部になる。
Civでは、どの条件にも完全な正解はない。
内陸国には内陸国の問題があり、島国には島国の問題がある。資源の少ない国には不足があり、資源の多い国にはそれを守る責任が生まれる。
そもそも、国家は問題をすべて解決してから発展するのではない。何らかの問題を抱えたまま、その時点で最もマシな選択を続けていくものだ。
この構造が、Civの創造性を生んでいる。
自由度の高いゲームというと、多くの選択肢の中から好きなものを自由に選べる作品を想像しやすい。しかしCivの自由とは、何でもできることではない。
その正体は、限られた条件の中に複数の可能性が残されていることにある。
- 海がないからこそ、陸上の外交や防衛を考える
- 領土が狭いからこそ、科学や交易へ力を入れる
- 周囲に敵が多いからこそ、同盟関係を築く
- 資源が豊富だからこそ、それを守る軍事力が必要になる
制約はプレイヤーの個性を消すものではなく、むしろ、同じプレイヤーに毎回異なる判断をさせるトリガーだ。
前回は海洋国家を作った人物が、次のゲームでは内陸で外交国家を作るかもしれない。平和的な発展を好む人物でも、危険な隣国に囲まれれば軍事力を重視せざるを得ない。
自分の理想を押し通すのではなく、世界から与えられた条件にどう答えるか・・・・・・その回答の違いが、文明の違い(プレイの分岐性)になる。
たかがゲームといえども、しかしこれは本質を描いている。地政学などはまさにここに当てはまるものだ。
もちろん、現実の国家行動が地理だけで決まるわけではない。ただし、海へ出られるか、周囲にどの国があるか、どの資源を持つかによって、選べる政策の難易度や費用が変わる。
Civは、その地政学的な制約を強く単純化して見せるゲームでもある。
さて、そういう事情を加味して運営していくと、やがて歴史を見る感覚も本作を通して変わっていく。
およそあらゆる文明が異なる結末や過程を遂げるのは、変数が違いすぎるからなのだ。
その変数・・・・・・文明ごとに異なるのは、単に土地や資源だけではない。その条件の中で、何が合理的な選択になるかも異なる。戦争さえ、その例外ではない。
戦争はコスパ問題
「やりたいこと」より「今できること」を選ぶ・・・・・・この構造が最も露骨に現れるのが戦争だ。
現実において、私は反戦主義者であるのだが、Civにおいて戦争は「選択肢のひとつ」として扱っている。なんなら毎回戦争しているし、あまり辞さない。
Civにおける戦争は常に行うべきものではない。かといって、常に避けるべきものでもない。
その判断基準になるのがコスパだ。やって得られるものが多いならやるし、じゃないならやらない。実に単純。
ここでいうコスパは、戦争を倫理的な損得だけで評価するという意味ではない。Civというルールの中で、兵士、生産力、時間、外交関係を投入した結果、国家全体が有利になるかを考えるという意味だ。
戦争によって領土や資源を獲得し、競争相手を弱体化できることはある。しかし、そのために大量の兵士と生産力を失い、国家の発展を遅らせることもある。
どれほど強力な軍隊を持っていても、遠すぎる国へ攻め込めば移動だけで時間がかかる。都市を奪えても、その後の防衛や統治に苦しむかもしれない。
一国との戦争に集中している間に、別の文明が科学や経済で先へ進むこともある。攻撃的な国家だと見なされれば、それまで中立だった国々まで警戒し始める。
こんな感じに、戦争は得るものと失うものが明確だ。ゆえにその価値は、勝てるかどうかだけでは決まらない。
土地、資源、技術差、敵国との距離、戦争に必要な時間、他国からの反応、そして勝利後の統治まで含めて、何を得て何を失うのかを考える必要がある。だから「手段のひとつ」なのだ。
たとえば以下の地形。北側に3都市、南側に1都市を配置し、その中央部分に鎮座する香港が見える。ちょうど、国の間を埋めるような位置だ。

最初こそ香港の領土を迂回して道路を敷設していたのだが、いちいち領土拡大に対して工事するのがめんどくさくなったので侵略した。3日で陥落した。
これだけ言うとなんだかひどい話に聞こえる。しかし、合理性の面からは妥当だ。滅ぼしたいのではなく、邪魔だったから。そして侵略したあとは工事の手間も省けた。
もちろん、現実なら人命や主権を道路工事の効率へ還元することはできない。
だがCivでは、それらがゲーム上の数値へ圧縮されるため、侵略さえ経路確保の手段として計算できてしまう。この異様なほど露骨な合理化も、プレイヤーに国家判断を意識させる仕組みのひとつだ。
戦争における費用対効果は、時代と状況によって大きく変わる。
たとえば古代や中世の戦争では、兵士の数と配置が結果を左右しやすい。かなりコスパが良いのでやるならここだ(香港戦争はかなり後だが技術力の差によって圧勝できた)。
そもそも都市の数が少なく、ユニットの火力も多少のテクノロジーで大差をつけられる。向こうが石器なのにこっちはコンポジットボウだったりすると圧倒的。
あるいは、火薬兵器が導入されると戦争の前提が変わる。文字通り、一瞬で灰にできる・・・・・・そんな暴力によって戦争は形を変える。
火薬に限らず、相手より早く新しい兵器を導入できれば、それまでと同程度の兵力でも、はるかに大きな攻撃力を発揮できる。
テクノロジーの影響は非常に大きい。兵士を何倍にも増やしたわけではない。国家全体の人口が突然増えたわけでもない。同じ程度の人的資源と生産力を使いながら、軍隊の効率だけが極めて上昇するのだ。
ただし、時代がさらに進むと状況は変わる。現代に移行するにつれ、強力な軍事技術を持つことが、そのまま戦争の利益につながるわけではなくなる。
たしかに近代以降のユニットは強い。古い時代の軍隊では抵抗できないほどの攻撃力を持ち、航空機や機甲部隊によって、広い範囲へ短時間で影響を与えられる。
しかし、強い兵器は高価でもある。さらに生産には時間がかかり、完成後も維持費が必要になる。戦闘で失えば、簡単には補充できない。
また、当然ながら敵国も同程度の技術を持っているだろう。こうなるとかなり厳しい。やがて戦争は一方的な征服ではなく、消耗戦になる。
ひとつの都市を奪うために高価なユニットを失い、補充している間に別の戦線が崩れる。敵国の領土が広ければ、都市を奪っても戦争は終わらない。
結果として、戦争に勝ったにもかかわらず、国家全体は戦争前より弱くなっていることさえある。
得られたのは数都市と資源。失ったのは軍隊、生産力、資金、時間、外交的信用。数字の上では領土が増えていても、それが戦争の費用に見合っているとは限らないのだ。
時代が進むほど戦争の利益率が下がるのは、単に兵器が高価になるからだけではない。
国家そのものが大きくなり、ひとつの都市を奪っただけでは相手を無力化できず、戦争中に止まる研究や建設の価値も高くなるのも大きい。よって、軍事的には勝てても、国家運営全体では負ける可能性が増えていく。
だから戦争の基準はコスパであり、現代になればなるほど戦争はやらなくなる。これは平和主義ではなく、失うものが多すぎるという効率主義だ。

今戦うべきか、それとも振り返った時に「あの戦争やんなきゃよかったな」となるのか。Civはこういうものが頭を支配する。そしてこれこそが、本作の中毒性を物語る要素だ。
Civの中毒性を本質的に探る
ここまで述べたのは、小さな判断が文明の形を作る仕組みだった。次に考えたいのは、なぜその判断が、ゲームを閉じた後まで頭に残り続けるのかという点だ。
Civは、よく「あと1ターンがやめられないゲーム」と言われる。
- 次の技術が完成するまで
- 建設中の建物が完成するまで
- 戦争が終わるまで
- 新しい時代に入るまで
そうして区切りを先延ばしにしているうちに、気づけば数時間が過ぎている。
この説明は間違っていない。しかし、Civの没頭感は、単に長時間プレイしてしまうことだけではない。
もっと厄介なのは、ゲームを終了したあとだ。画面を閉じ、別のことをしているはずなのに、頭の中ではまだ文明が動いている。
- 次にプレイするときは、どこへ都市を広げるべきか
- 隣国が国境付近に兵士を集めていたが、防衛は足りているだろうか
- この大陸では海軍を本格的に整える必要はなく、沿岸防衛だけでよいのではないか
- 敵国を直接攻撃しなくても、外交関係を作れば動きを抑えられないか
- 現在の都市ではなく、別の土地に新しい都市を建てていたら、どのような国家になっただろうか
つまり、勝つ方法だけを考えているのではない。「この場合はどうなるのか」という可能性を考えている。
Civにおける没頭とは、長時間画面の前に座り続けることだけではない。プレイしていない時間まで、その世界に意識を吸われることだ。

本作の中毒性には、少なくとも2つある。
- 区切りの直前に次の判断が発生し、終了を先延ばしにする「あと1ターン」の連鎖
- ゲームを閉じた後も未解決の可能性が頭に残り、次の手を考え続けてしまう思考の持続
より厄介なのは後者だ。
では、なぜゲームを閉じても思考が止まらないのか。それは、このゲームに決まった手順がないからだ。
もちろん、効率のよい進め方や、安定しやすい方針は存在する。しかし、それだけで毎回同じ結果になるわけではない。
同じ方針を取ろうとしても、世界の側が同じ条件を用意してくれない。理想どおりに進まない場合でも、すぐに失敗と決まるわけではない。
予定していた都市の近くに蛮族が現れれば、開拓を遅らせて軍隊を作る必要がある。そこで失った時間を補うために、別の土地へ進出したり、都市数を抑えて内政へ集中したりすることもできる。
外交関係が崩れれば、軍備を強化するだけでなく、別の国家と接近して均衡を作る方法もある。
石油が足りなければ、他国と交換する、資源のある土地を購入する、資源を必要としない戦力構成へ切り替えるといった対応が残されている。
計画は崩れる。だが、崩れた計画の先にも別の選択肢がある。
この「まだやりようがある」という感覚が、思考を継続させるのだ。
反対に、理想どおりに進んでいる場合でも、プレイヤーは安心できない。
たとえば、都市の建設も科学技術の研究も予定どおり進み、隣国との関係も安定しているとする。これは脳死になるだろうか?そういうわけでもない。
新しい偉人が誕生すれば、その使い道を考えなければならない。大科学者によって研究を一気に進めるのか、施設を建てて長期的な科学力を高めるのか。
あるいは遠方の国が別の文明を征服すれば、世界の力関係が変わる。同盟国が戦争を始めれば、それまで中立だった争いに巻き込まれる可能性もある。
状況が悪いから考えるのではない。状況がよくても、新しい変数が現れるから考え続ける。
何も起こらず、国家がしばらく安定しているなら、やめることはそれほど難しくない。
必要な建物を予約し、軍隊を安全な場所へ戻し、外交関係にも大きな問題がない。
あとは数ターン様子を見るだけだと分かれば、そこが自然な区切りになる。
しかし、区切りの直前に何かが起こる。
ひとつの変化が新しい判断を生む。
その判断によって、さらに別の状況が発生する。
つまり、「あと1ターン」が止まらないのは、毎ターン報酬が与えられるからだけではない。判断の途中でゲームを閉じることが難しいからだ。
問題を解決したから終われるのではない。問題を解決した結果、次に考えるべきことが見えてしまう。
Civは遊んでいる時間だけで完結するゲームではない。ゲームを閉じた後にも、未解決の選択肢が残り続ける。これが意識を奪って仕方がない。
次に起動するとき、プレイヤーは前回の続きをするだけではなく、頭の中で考えていた仮説を、再び歴史の中へ持ち込む。そしてまた、未来の可能性が頭に残り続けるのだ。
ただし、この思考の連鎖は、ゲームの最後まで同じ強さで続くわけではない。
勝利条件が近づき、やるべきことが明確になるほど、不確実性は減っていく。そして文明の未来が決まり始めたとき、Civの面白さは少しずつ別のものへ変わっていくのだ。
終盤が退屈になるその理由
Civには、明確な勝利条件がある。
- 科学技術を発展させて宇宙へ進出する
- 文化的な影響力によって他国を圧倒する
- 外交によって国際社会の支持を集める
- 軍事力によって世界の主導権を握る

ゲームである以上、最終的にはいずれかの条件を満たし、勝敗が決まる。
しかし、私はこれらを意識したことがあまりない。最終的にゲームに区切りをつけるために勝利してるだけであって、勝利を目的にやるということが無い。
というのも、Civの中心的な面白さは、勝利条件を達成することそのものではないのだ。むしろ盛り上がるのは、勝てるかどうかがまだ分からない段階にある。
不完全な状況の中で、現在持っている手札をどう使うかを考えるということ。
Civで与えられる手札は、理想的なものが配られるわけではない。いつだって今持っているものの中から、最もマシな組み合わせを探す・・・・・・この過程に面白さがある。
ところが終盤になり、勝利への道筋が明確になると、この判断は少しずつ減っていく。何をするべきか分からないから考えるのではなく、やるべきことが分かっているから、それを処理する。
文明を作っていた時間が、完成した文明を勝利条件まで運ぶ時間に変わる。ここで、Civはつまらなくなるのだ。
これは、終盤のゲームバランスが悪いという話ではない。Civの面白さを生んでいた不確実性が、勝利へ近づくほど失われるということだ。
Civで記憶に残るのは、何の勝利を達成したかではない。プレイヤーが覚えているのは、勝利そのものではなく判断の履歴だ。
ひとつひとつの判断は、その時点では小さい。しかし、後から振り返ると、それらの点がつながっている。
前線都市を建てたから国境が決まり、その国境を守るために軍事力を高めた。
軍事費によって科学が遅れたため、他国との交易を増やした。
海に活路を求めたことで遠方の文明と接触し、新しい外交圏が生まれた。
こういった判断が次の条件を作り、その条件に対応するために、さらに別の判断を行う。
その連続が、「今回の世界では、こういう文明になった」という歴史になる。
勝利条件は、その歴史をゲームとして終わらせるための装置だ。必要ではあるが、歴史そのものではない。勝ったから文明史が生まれたのではない。
勝敗が決まるまでに、何を考え、何を選び、何を諦めたのか。
そこに文明史がある。
では、その判断をしていたのは誰なのだろうか。
数千年にわたって国家を動かし、都市を作り、戦争と外交を選んできたプレイヤーは、王なのか。
世界を上から見下ろし、文明の未来を決める神なのか。
それとも、国家を構成する国民なのか。
プレイヤーの正体は何か?
本作におけるプレイヤーの立場を考えると、このゲームが与える「歴史の当事者性」は、さらに奇妙な形をしている。
最も近いのは、国家全体の民意だ。ただ、ここは少し射程が広い表現なので補足する。
プレイヤーは、王や政府のような特定の統治者ではない。むしろ、国家内部にある軍事、経済、研究、生活、防衛といった複数の要求を、ひとつの行動へ圧縮する存在に近い。
それを通常の意味での世論とは区別したうえで呼ぶのが「国家全体の民意」だ。
なぜならプレイヤーは、国家の利益だけを一貫して代弁するのではなく、局面ごとに市民、軍、商人、研究者など異なる立場の必要を引き受けるからだ。
国家が危機に陥れば為政者のように判断し、戦争が長引けば市民の負担を考え、資源不足に直面すれば商人のように交易を求め、技術競争に遅れれば研究者のように科学を重視する。
どれかひとつの立場になりきるのではない。その時点で国家が抱えている問題に応じて、異なる立場の論理を引き受ける存在だ。

この歪んだ当事者体験を持つと、現実の歴史についても、結果だけを見て過去の判断を単純に評価することは難しくなる。
なぜ、その国は戦争を選んだのか。
なぜ、利益の少ない領土を守り続けたのか。
なぜ、長期的には不利に見える政策を採用したのか。
それらを、単に為政者の愚かさや国家の性格だけで説明するのではなく、その時点でどの立場が強く、どの危機が優先され、何が見えていなかったのかと考えるようになる。
もちろん前述した通り、Civを遊んだからといって、現実の国家がなぜその判断をしたのか分かるわけではない。
分かるようになるのは答えではなく、見るべき問いだ。当時どの情報が見えていたのか、何を恐れていたのか、どの選択肢にどれほどの費用があったのか。結果だけでなく、その時点の選択可能性を考える習慣が生まれる。
そういったCivの不完全な当事者体験は、ゲームの中だけで終わらない。現実の歴史を見る視点まで、少しずつ変えていく。
歴史の流れを追体験するという学び方
ここまで、Civの中でプレイヤーが歴史の当事者に近い立場を得ることを述べた。では、その体験は現実の歴史を見るとき、具体的に何を変えるのか。
繰り返すが、Civだけで歴史を正確に学ぶことはできない。カメハメハ大王が核を撃ってくる世界でいったい何を学ぶのか。
現実の歴史は、ゲームよりもはるかに複雑だ。同じ土地を持っていても、政治制度や周辺国との関係、戦争、疫病、災害、指導者の判断によって結果は変わる。
歴史は、努力だけでも、環境だけでも説明できない。複数の要因が重なり、そのとき偶然に起きた出来事まで含めて、ひとつの流れができあがる。
だからCivを歴史教材として過大評価するべきではない。
しかしそれでも、このゲームを遊んだ後は、歴史上の出来事を単なる暗記事項として見にくくなるというのは事実だ。
年号と事件名だけを覚えていたとき、大航海時代は「ヨーロッパ諸国が海へ進出した時代」でしかない。
帝国主義は「列強が植民地を拡大した時代」であり、アヘン戦争は「イギリスと清が戦った事件」として処理できる。
しかし、Civで似た条件に直面すると、その出来事の背後にあった力学を想像しやすくなる。
たとえば海へ出られる技術を手に入れたとする。
それまで国家にとって世界とは、周囲の大陸と近隣国だけだった。しかし船を作り、海を越えると、未知の土地、資源、文明が見つかる。
遠方の国家と交易できる。自国に不足している資源を確保できる。あるいは人口や領土の不足を補う新天地が見つかるかもしれない。
同時に、自国よりはるかに強大な国家の存在も知ることもあるだろう。
海の向こうを知ることは、地図の空白を埋めるだけではない。交易、資源、軍事、外交における可能性と脅威を、一度に増やす革命だ。
そう考えると、大航海時代は冒険心だけで説明できない。海へ出る技術が生まれ、その先に利益と脅威の両方が存在したから、国家は航路と海外拠点を求めたのではと、教科書的説明にとどまらない想像が広がる。
Civが与えるのはこうした実感だ。
現実より単純化された別の世界で、似た条件に置かれ、似た種類の判断を迫られ、その結果、歴史上の出来事がただの用語ではなくなる。
なぜ海へ出たのか。
なぜ領土を広げたのか。
なぜ戦争を避けられなかったのか。
なぜ利益の少ない土地を維持したのか。
正解を知るためではない。その時点の当事者にとって、どのような選択肢が見えていたのかを想像するためだ。
歴史シミュレーターとは、既存の歴史を正確に再現するものだけではなく、似た条件の中へプレイヤーを置き、似た判断を迫るものでもある。
過去の人々もまた、不完全な情報と限られた手札の中で、その時点の答えを選び続けていた。
その感覚が身につくことこそ、Civが歴史理解へ引く、最も大きな補助線なのだ。

歴史に興味がないのは当事者ではないから
中学生の頃、歴史が嫌いだった。
なぜ1000年前の人間が何をしたとか、当時の偉い人が誰とか、そんなの覚えなくちゃならないのだろうと思っていた。清和源氏のネーミングとか嫌がらせだろとまで考えていた。
歴史の授業では、すでに終わった出来事を学ぶ。
どの国が戦争を始め、どの国が勝ったのか。どの技術が生まれ、社会がどう変わったのか。どの国家が領土を広げ、なぜ衰退したのか。
出来事は年号とともに整理され、その原因と結果も説明される。そこでは、歴史は1本の線として見える。
この出来事があったから、次の出来事が起きた。この政策に失敗したから、国家は弱体化した。この戦争を選んだから、後に大きな損失を受けた。
結果を知っている私たちは、過去の判断を評価できる。
なぜ、そんな無謀な戦争を始めたのか。なぜ、もっと早く和平を結ばなかったのか。なぜ、維持できないほど領土を広げたのか。なぜ、目の前の危機に気づけなかったのか。
後世から見れば、失敗は分かりやすい。別の選択をしていればよかったと考えることも簡単だ。しかし、当時の人々はもちろん、その後に何が起きるかを知らない。
どの判断が正しかったのかは、結果が出た後にしか分からない。
歴史を外側から眺めているだけでは、こういった不確実さを実感しにくい。出来事は最初から決まっていたように見え、成功した国家には成功する理由があり、失敗した国家は間違った判断をしたように見える。
だが、これはCivでも同じだ。プレイ中は未来がまだ存在しない。
最初から正しい答えを知っているわけではない。今ある条件の中で、その時点では最もましだと思える選択をする。それでも、文明は少しずつ形になっていく。
そのひとつひとつは、文明史と呼ぶには小さすぎる操作だ。プレイヤーも、歴史を作っているつもりで選んでいるわけではなく、目の前の問題に答えているだけだ。
しかし、その答えは次の状況を作る。
ひとつの判断が条件を変え、その新しい条件に対して次の判断をする。
それを繰り返した後で、プレイヤーはようやく気づく。
自分が作った国家には、歴史がある。すべてに、その時点なりの理由がある。
成功した判断だけではない。失敗した都市計画も、勝てなかった戦争も、確保できなかった資源も、その後の選択に影響している。
歴史とは、偉大な成功だけを集めたものではない。その時点では正しいか分からなかった判断が連なり、後からひとつの流れとして見えるようになったものだ。
歴史に興味が持てないのは、不自然なことではない。自分が当事者ではない出来事を、年号と結果だけで眺めているのだから当然だ。
誰かが何かしたものをただ見るだけで面白く思うのは難しい。面白い小説だって、特徴や共通点は何よりも「共感」にある。自分と同じような立場のキャラがいるから、没入できる。
ここでいう共感は、賛同ではなく、判断の内側を想像できることだ。
人は、対象と同じ価値観を持たなくても、その人物が何を見て、何を恐れ、どの選択肢から決めたのかを追えると、出来事を他人事として処理しにくくなる。
だから、自分が国家を動かす側になれば、話は変わる。
正解の分からない状態で一度でも判断すれば、歴史上の当事者もまた、似た不完全さの中にいたのだと想像できる。
Civで歴史は学べない。しかし、歴史の意味を知り、歴史に共感するという下地は作れる。
私が本作をただのゲームとして消化できないのは、こういう部分があるからなのだ。
・・・・・・最後に、「初心者がCivをやるならどれか」という問いへの答えとして以下を置いておく。ナンバリングどれでも大差ないのだが、最も触れやすいだろうということで。
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