【オクトラ】面白いコマンドバトルの仕組み:退屈と熱中の差は何で生まれるのか?

コマンドバトルというシステムの行き詰まりを感じる。

『ドラゴンクエスト』を発端とした、日本で定着したコマンドバトルの基本形は、当時やしばらく経ってこそ面白さを供給していたが、やがて「交互にコマンドを選ぶだけ」という退屈さが露呈し始めた。

ゲーマーの友人にも、「RPGは退屈すぎてできない」という人は珍しくない。ストーリー云々より、厳密に言うと、バトルにおける自由度のない順番待ちの殴り合いがつまらない、ということだそうだ。

確かに、時間が常に流動的に動くアクションゲームなどに比べたら、コマンドバトルはスローで、億劫なものだろう。見え見えの攻撃を受けなくてはならない・・・・・・テンポの問題も重なり、不快につながる気持ちはわからないこともない。

私もかつてこそコマンドバトルの文法を「そういうもの」として楽しんでいた。しかし、今は旧来のシステムに微妙さを覚える。慣れ親しんでいたお約束への若干の辟易みたいなもの。

ただ、そんなコマンドバトルの中にも、面白いものとそうでないものがあるように思う。

似たようなシステムにも関わらず、敵と出会うことが楽しみになるゲームと、また戦闘かと面倒に感じるゲーム。

この違いはなんなのだろう。

画面上でしていることは、それほど違わない。攻撃を選び、必要なら回復し、敵のHPをゼロにする。反射神経を競うわけでも、複雑な操作を要求されるわけでもない。戦闘の外形だけを見れば、どちらも同じ種類の遊びに見える。

それなのに、実際に触れたときの感覚は大きく違ったりする。

次の1手を考えたくなるものもあれば、早く終わってほしいと感じるものもある。この差を「コマンドバトルが好きかどうか」だけで説明するのは難しい。同じ人間が、同じ操作形式の中で、正反対の反応をしているからだ。

そんな、戦うことが楽しいコマンドバトル・・・・・・これまで、少数ではあれどそういうものがあった。

今回の題材として扱うのは、そのひとつである『オクトパストラベラー』だ。

オクトパストラベラーのサムネ

オクトラは明確に戦いたくなる側のゲームだった。しかも、特別なボスとの戦闘に限った話ではなく、道中のザコ戦でも同様。レベル上げのような繰り返し作業であっても、眠くなることは少なかった。

では、その面白さ(違い)はどこから生まれているのか?

ブレイクが気持ちいい、BPを使った攻撃が強い、といった特徴を挙げることはできる。しかし、システムの名前を並べるだけでは、それがなぜ「戦いたくなる」という感覚につながるのかまでは分からない。

また、「どう戦うかを考える余地があるから」というものだけを理由に採用するのも弱い。他のコマンドバトルだってそれはあるだろう。ドラクエだってせいけんづきなのかイオナズンなのか、考えるはずだ。

演出やテンポの遅さという問題もあるが、今回考えたいのはそこではない。同じようにコマンドを順番に選ぶゲームでも、戦闘そのものを楽しめるものがある以上、「待つ形式だから退屈」というだけでは差を説明できないからだ。

ということで、本記事では選んだコマンドがその後の戦局をどこまで変えられるか、という点に絞る。オクトラの各種仕様を手がかりに、コマンドを選ぶという行為の中で、プレイヤーが何を考え、何を変えられるのかを見ていきたい。

面白いコマンドバトルとは、いったいどういうものか?

ここでは仮に、面白さの差は「選んだ行動によって、その後の戦闘の展開そのものを変えられるか」にある、と考えてみたい。

「楽しいザコ戦」の仕組み

まずは、コマンドバトルにおいて圧倒的多数を占める、ザコ戦を見ていこう。

概ねこのフェーズは退屈になりがちだが、オクトラはそこにすら楽しさを付与している。設計のキモは、リソース配分だ。

道中のザコ戦は、勝てること自体が大きな驚きにならない場合が多い。基本的には勝てるものとして用意される。だから撃破そのものは大きな報酬になりにくいし、毎回「勝てるかどうか」まで考えさせられるなら、それはそれで億劫だ。

それでも戦闘に楽しさがあるとすれば、勝敗以外の何かが、選び方によって変わっているはずだ。倒すという結果ではなく、その過程に差が生まれているのではないか。

オクトラでは、それが「どう倒すか」に現れる。

本作の基本になるのはブレイクだ。

弱点を突いてシールドを削り切るとブレイク。ブレイク中の敵は行動できず、受けるダメージも増える。そこで溜めたBPを使い、大きなダメージを叩き込む。大枠としては、そういうゲームだ。

ただ、「弱点を突いてから強い攻撃をする」と説明するだけでは、実際に生じている判断をかなり取りこぼす。

弱点が分かったあとにも、いつブレイクするのか、誰の行動でブレイクするのか、そのとき誰が攻撃できるのかという問題が残るからだ。

たとえば、次に行動する敵のシールドが、あと一撃で削り切れる場面を考えてみる。

オクトラにおいてブレイク寸前のバトル画面

ここで弱点を突けば、敵が動く前にブレイクできる。単にダメージを与えるだけでなく、これから受けるはずだった攻撃まで止められるわけだ。同じ弱点攻撃でも、敵が行動した後に使うのとは意味が違う。

一方で、敵を止めることだけを急げばいいとも限らない。

味方の主力がすでに動き終えていたり、BPが不足していたりすれば、せっかく作った隙を十分な攻撃につなげられない。状況によっては、今すぐブレイクせず、次の攻めに備えたほうがいいこともある。

BPも同じだ。

弱点に合った通常攻撃をブーストすれば、シールドを早く削れる。しかし、そこでBPを使えば、その分だけブレイク後の大きな攻撃には回せなくなる。早く敵を止めるために使うか、止めた後の火力として残すか。同じ資源をどこへ使うかが競合する。

だから、敵と味方の行動順を見ながら、今の行動を準備に回すか、妨害に使うか、攻撃へつなぐかを組み替えることになる。

弱点を突いてから大技を叩き込む。大枠は同じでも、そこへ至る手順はかなり違う。

威力は低いが手数の多い攻撃で、一気にシールドを削る。強い技ではなく、武器の追加効果込みで削ってBPを温存する。なんなら、シールドの上から大ダメージを出して既存の流れを踏み倒すこともある。

結末は同じでも、そこへ至るルートは複数ある。そして、それぞれ使う手数やBP、受ける被害が違う。ここに、選択や思考の余地が生まれる。

その違いは、戦闘後にも残る。

敵を倒したという結果は同じでも、何度も攻撃を受けて倒したのか、一度もダメージを受けずに倒したのかでは違う。ノーダメージで終えられれば、回復の手間を残さずに済むうえ、自分の組み立てがうまく機能したことも分かる。

単に勝てたことだけでなく、「うまく処理できた」こと自体が報酬になる。

ザコ戦まで考えたくなる理由は、この勝ち方の差にあるのではないか。

すべての行動が、敵のHPを少しずつ減らすための同じ1回にはならない。敵が動く直前の1手と、ブレイク後に攻撃を重ねる一手では役割が違う。短い戦闘の中にも、価値の異なる時間が生まれているのだ。

ブレイクとBPが変えているもの

この構造を一段抽象化すると、ブレイクとBPは、どちらも「戦闘中の時間の使い方を変えている」と考えられる。

ただし、両者が変えているものは同じではない。ブレイクは敵の行動機会を減らし、BPは味方の行動の価値を、使いたい時点に集中させる。

少しふわっとしているので、単純な戦闘を考えてみよう。

こちらが1回攻撃すれば、相手も1回攻撃する。次のターンにも同じ交換が起こる。この流れが固定されているなら、主に考えるのは「1回でどれだけ削れるか」「何回の攻撃に耐えられるか」になる。

私や友人の言う「つまらなさ」は、こういうところにある。先の流れが見えていても、その交換自体を変える手段が少ないという仕様。

そこへブレイクが入ると、流れに切れ目を作れる。

オクトラでは、敵をブレイクするとそのターンの残りと次のターン、行動を止められる。まだ動いていない敵を先にブレイクできれば、これから受けるはずだった攻撃そのものを消せるわけだ。

ここで重要なのは、単に追加ダメージが発生することではない。

敵が1回動かなければ、本来必要だった回復も不要になるかもしれない。そのぶん味方の行動を攻撃や強化に使える。敵の行動を止めることで、その後の味方の手まで変わっていく。

攻撃の選び方によって、防御する必要そのものを減らせる。これが、戦闘の流れへ介入するということだ。

BPは、そこで作った好機へ力を集める仕組みとして働く。

BPは溜めている間も通常どおり行動でき、好きなタイミングでブーストに使える。今使って敵を早く止めるのか、ブレイク後の大きな攻撃まで残すのか。同じ資源でも、使う場面によって価値が変わる。

しかも、BPはブレイク後の火力として使うだけではない。ブーストした通常攻撃でシールドを多く削れば、ブレイクそのものを早めることもできる。

つまりBPは、作られた好機を利用するためにも、好機を作るためにも使える。

だからプレイヤーが考えているのは、単に「今、一番大きなダメージを出す方法」ではない。

今はBPを残して準備するのか。先に使って敵を止めるのか。多少の攻撃を受けながら準備を進め、次のターンに一気に攻めるのか。戦闘の中で、どこに攻める時間を作るかを考えることになる。

そこで重要になるのが行動順だ。

次のターンに攻めたいとしても、それまでに誰が動き、敵が何回動くかによって、準備に使える猶予は変わる。ブレイク前に動く味方で隙を作り、その後に動く味方で攻撃する、といった役割分担も生まれる。

ここでいう「時間を操作する」とは、好きな順番で行動できるという意味ではない。与えられた行動順と資源の中で、敵が動ける時間を減らし、味方の攻撃を集中させる時間を作れる、ということだ。

その結果、1ターンの価値は一定ではなくなる。

準備するターンと、それを回収するターンでは、同じ1回の行動でも意味が違う。そして、その差をプレイヤー自身の手順によって作れる。

オクトラでは、ターンをただ消費するのではなく、どのターンを何に使うかを設計できる。

オクトパストラベラーのブレイク、BP、行動順によって戦闘中の時間価値が変化する仕組みを示した図

ただし、「時間を操作できること」そのものが最終的な答えではない。

重要なのは、それによって決着までの過程を組み替えられることだ。ブレイクとBPは、そのための主要な手段として働いている。

退屈なコマンドバトルの仕様

ここまでオクトラ側から見てきた構造を、逆側から確認してみよう。

この視点から見ると、コマンドバトルが退屈になる理由が1つ見えてくる。

何が起こるか分からないのではなく、何が起こるか分かっていても、それを変える余地が少ない・・・・・・だから、退屈なのだ。

敵が攻撃する。こちらはダメージを受ける。HPが減ったら回復する。その間に攻撃を重ね、必要な回数だけ繰り返せば勝てる。

先の展開が見えていても、敵の行動を減らすことも、回復の必要を変えることも、決着までの過程を大きく組み替えることもできない。すると、予測は操作の予定表にしかならない。

固定的なターン交換型の戦闘と、プレイヤーが戦局を変えられるコマンドバトルの違いを比較した図

そこに弱点という要素を加えても、必ずしも解決しない。

弱点を突くとダメージが増えるとして、それでも敵の行動回数は変わらず、こちらが受ける被害も、必要な回復回数もほぼ変わらないならどうだろう。適切な属性を選んだという判断はある。しかし、その先の戦闘は依然として同じ殴り合いへ戻っていくだけだ。

単純な例として、HPが100の相手に50ダメージを与えるとする。ダメージが弱点で1.5倍されたとして、かかるターン数は結局どちらも2(50+50、75+75)。この場合だけで言えば、弱点を突くことに意味はないだろう。

だが、弱点を突くと圧倒的に早く、消耗が少なく行くのなら、パズルのようにいかにキレイに倒すかということに頭が回る。

攻撃力が上がることで1手早く倒せるのか、敵を減らすことで受ける攻撃が減るのか、回復を省いて攻め切れるのか・・・・・・こうした変化が起こるなら、単純なダメージ増加にも考える意味がある。

つまり、想像できる範囲において、プレイヤーの選択による影響力が乏しい・・・・・・こうなると退屈になる。

この影響力の小ささが続くと、考えることに対する期待が薄くなる。よりよい手順を探しても、結局は同じ攻撃を受け、同じ回復を挟む。それなら、深く考えずに進めたほうが負担は小さい。

「要はこういうことでしょ」でターンが裏切られることなく進む。そこに熱中や没頭は付随するだろうか?

プレイヤーが思考をやめることは、必ずしも遊び方の問題ではなく、思考に見合う差を戦闘の側が返していない結果でもありうる。

しかも、この状態は勝てない戦闘に限らない。問題なく勝てていても、その勝利がこちらの判断によって形作られたように感じられなければ、戦闘は退屈になる。弱いから何もできない無力感とは別に、十分強くても、展開には関われないという無力感がある。

敵のHPがゼロになるまで決められた工程を実行する。

その感覚が強くなると、プレイヤーは戦っているというより、決着まで歩かされているようになる。コマンド式という操作形式そのものより、選んだコマンドがどこまで戦局に届くかが、ここでは問題になっているのだ。

「勝ち方を作る」という面白さ

では、影響力があるとは、選択肢が多いということだろうか。

そうとも限らない。技が何十種類あっても、目の前の敵に対応する1つを選べば済むなら、選択の中心は照合になる。敵の条件を確認し、それに合う答えを一覧から探す作業だ。

もちろん、弱点を見つけ、適切な攻撃を選ぶことも判断の一部だ。ただ、オクトラの戦闘を考えると、それは勝ち方を作るための材料が1つ分かった段階にすぎない。弱点が分かっても、数々の要素によって、そこから先の組み立てが変わる。

たとえば、次のターンにブレイクし、その後で攻撃を集中させる方針を立てたとする。

その場合、今のターンには準備の役割が生まれる。攻撃役をバフで強化するのか、シールドを削って次の1手で割れる状態にするのか、敵の攻撃に耐えるため回復するのか。準備に使える行動は有限なので、必要なものをすべて並べればよいわけではない。

バフも、使えば常に得になるわけではない。今の1回を強化に使うなら、その1回で直接攻撃する機会を手放す。その後に十分な攻撃を重ねられれば準備を回収できるが、すぐに決着するなら、最初から攻撃したほうがよい場合もある。強化の価値は、そのコマンド単体ではなく、後にどんな行動を置けるかによって決まる。

BPの温存にも、同じように計画との関係がある。

次の好機に大きな攻撃を入れるつもりなら、今は残す理由がある。だが、そのために危険な敵の行動を許すなら、温存には代償が伴う。最大火力を狙う計画が、現在の安全まで含めて成立するかを考えなければならない。

別の方針として、BPを先に使って敵をブレイクし、準備が不十分でも安全な時間を確保することも考えられる。この場合、大きな一撃のために我慢する戦い方から、相手に動かせないことで消耗を抑える戦い方へ重点が移る。

どちらも勝利へ向かうが、何を優先し、どの負担を引き受けるかが違う。

敵の攻撃を受けても倒されないと判断できるなら、あえて止めることに手数を使わず、攻め切る方針もあるだろう。ブレイクという強い仕組みがあるからといって、毎回それを最優先にする必要はない。敵を止める価値も、止めずに進めた場合との比較によって決まる。

こうして見ると、勝ち方を作るとは、自由に好きな技を使うこととは少し違うように思う。

それはいわば、手持ちのカードと制約から、成立する手順を組むことだ。個々の行動は、その手順の中で役割を得る。弱点攻撃がブレイクの準備になり、バフが次のラッシュの土台になり、回復が一度敵の行動を受ける選択を可能にする。

オクトラのブレイク時の大ダメージ

この快感は、詰将棋的でもある。目の前の1手の強さだけでなく、数手先の望ましい状態から逆算して、そこへ届く順序を探すからだ。

あと1回の弱点攻撃を誰に担当させるか。その前に誰を強化しておくか。その結果、攻撃役が動く時点でどの状態が作れるか。1手ずつの関係がつながると、単に強い技を出したときとは異なる納得が生まれる。

ただ、詰将棋的とはいえ、必ず唯一の正解があるという意味ではない。同じ勝利でも、最短で倒すのか、被害を抑えるのか、不確実な攻撃を避けて安定させるのかで、採る手順は変わりうる。数学的な最適解が存在する場面でも、それを自分の手持ちと状況から見つけ、成立させる過程には思考がある。

面白さを支えているのは、正解のラベルが付いたコマンドの数ではない。判断によって、結果に至る道筋を変えられることだ。

勝ったかどうかの2択の内側に、どう勝ったかという差が生まれ、その差を自分で作れる。

この意味で、面白い戦闘とは、勝つことに加えて、勝ち方をデザインできる戦闘だと言える。

しかし、その設計をプレイヤーに任せるなら、ゲーム側にも必要な条件がある。手順を組むための材料が、判断する時点で与えられていなければ成立しない。

情報開示による戦局設計

こういった、時間軸に影響したバトルにおいて、最も重要なのがタイムラインだ。これはネタバレではなく、その上でバトルを組み立てる重要な情報となる。

オクトラの戦闘において、敵より先にブレイクして攻撃を防ぐには、当然ながら「誰が敵より先に動けるのか」を知る必要がある。攻撃役のために隙を作るには、そのキャラクターがいつ動くのかを把握しなければならない。

行動順が見えることは、戦局を組み立てるための基礎なのだ。

情報を見せることは、しばしばゲームを簡単にすることとして捉えられる。

たしかに、分からないまま選ぶ場合に比べれば、判断の失敗は減ってしまうだろう。しかし、情報が増えたときに起こる変化は、それだけではない。見えるようになった情報を踏まえて、よりよい手順を組むという課題も生まれる。

たとえば、敵の次の行動より前に味方が2人動けると分かれば、その2回をどう使うかが問題になる。

2人でシールドを削って止めるのか。1人は回復し、もう1人は攻撃するのか。行動順を遅らせ、別の味方が介入できるようにするのか・・・・・・情報によって選択の根拠が生まれると同時に、限られた猶予の使い方を問われるようになる。

したがって、行動順の表示は、単なる親切な補助ではない。「この順番で事態が進む。その前に何をするか」という問題を、プレイヤーが扱える形で差し出す仕組みでもある。

情報を隠して難しくすることと、情報を渡したうえで判断を難しくすることでは、要求している能力が違う。

担っている対象として面白いのは弱点だ。

弱点が分かれば、どの手段でシールドを削れるかが分かる。残りのシールドが見えれば、ブレイクまでに必要な手数を見積もれる。状態を確認できれば、今の計画がそのまま使えるかを判断できる。それぞれの情報が、戦局を設計する際の条件になる。

オクトラの弱点が未解明の戦闘画面

一方で、最初からすべての弱点が分かっている必要はない。

攻撃やアビリティによって、隠されていた弱点を明らかにできる。情報が不足していても、それを調べる行動があり、調べる間の戦闘をしのげるなら、情報を得ること自体を計画へ組み込める。今は有効な攻撃を探し、判明したら手順を切り替えるという戦い方だ。

ここには、調査フェーズと実践フェーズが存在する。そしてこの弱点も、パネルの配置や順番、そこまでの敵の傾向などによって予想が立てられる。つまり、ランダム総当たりで当てていくのとは違う。

問題になるのは、必要な情報を得る機会も、危険を見積もる手がかりもなく、取り返しのつかない選択を要求される場合だ。事前に知らなければ避けられない大きな被害を受けたとき、そこで失敗したのは何の判断だったのか。比較の材料がなかったなら、少なくともその場の選択の巧拙では説明しにくい。

初見で負けること自体が問題なのではない。

手がかりを見落としたのか、危険を承知で攻めたのか、そもそも判断に必要な情報が与えられていなかったのかで、失敗の意味が違う。判断力よりも、先に答えを知っていたかどうかが問われている。

予測可能であることと、答えが決まっていることは同じではない。

事態の進み方をある程度見通せるからこそ、それを変える手段を選べる。戦局をデザインする楽しさは、プレイヤーが自由に思いつけば成立するものではなく、ゲームが何を知らせ、何への対処を可能にしているかによって支えられている。

運にも対策できなくてはいけない

ここまで予測と設計の重要性を強調すると、すべてを読み切れて、計画どおりに進む戦闘が理想のようにも見える。しかし、考えて組み立てることと、決まった手順を繰り返すことの間には差がある。

結果が確定しているゲームでも、正しい手順を発見するまでは十分に考える余地がある。前章までの詰将棋的な楽しさもそうだ。

ただ、すでに分かった手順を同じ条件で何度も実行するだけになれば、判断の余地は小さくなる。不確実性は、その手順を状況に応じて見直す契機になりうる。

では、ここまで述べた「戦局を設計できる」という条件は、ランダム要素が入った瞬間に崩れるのだろうか。

たとえば、ここで攻撃が当たればブレイクできるが、外れれば敵が行動するという局面を考えてみよう。

当たる前提で手順を組むなら、失敗した瞬間に計画は途切れる。しかし、外れる可能性を含めて考えるなら、別の味方を追撃に回せるようにするか、被害に備えて回復しておくか、より確実な手段へ切り替えるかという判断が生まれる。

実際こういう場面はあり、「これが当たったら勝てる・・・・・・けど」で、ミスって負けることもある。結局、防御力が高いとかよりも、回避率が高い(≒そもそも当たらない)が1手に重きを置くゲームでは最も厄介だ。

それは相手もこちらも同様で、オクトラにおいては最終的に「1回だけ必ず攻撃を回避する」という技を重ね掛けするのがド安定になる。相手からしたらクソゲーだろうが、特にバグ技とかでもない。

オクトパストラベラー、トレサ、ルーンマスターの緊急回避

さて、不確実性は計画を無意味にするだけのものではない。どこまで成功を当てにするか、どこに余裕を残すかという、計画の別の側面をも作る。予定が少し崩れたときにも、残った行動で立て直せるなら、その修正もプレイヤーの腕の見せどころになる。

ただし、そのためには、リスクへ働きかける余地が必要だ。

一般的な設計例として、命中率を下げる状態異常を考える。

その影響下では、いつもどおりの攻撃手順が不安定になる。そこで必中の技を使える、状態異常を解除できる、外れた場合の被害を防御で抑えられる、といった対抗手段があれば、不安定さへの向き合い方を選べる。

対抗手段があれば、今度はその費用を比較することになる。

解除に1回の行動を使うなら、その間の攻撃は減る。確実な手段の威力や効率が低いなら、速さと安定性のどちらを優先するかが問われる。対策が存在することは、毎回それを選べば済むことを意味しない。危険を引き受ける利益と、安全にするための負担を比べられるということだ。

反対に、成功率へも失敗後の被害へも介入できず、たまたま外れた1回で決着するなら、プレイヤーに残るのは祈るだけになる。

ランダムな出来事が起きたという意味では変化があっても、その変化に自分の判断が関わっていない。揺らぎを加えたはずが、ここまで作ってきた影響力を切断してしまう。

だから、対策可能とは、運を完全に消せることではない。発生確率を下げる、影響を小さくする、失敗しても立て直せるようにする。そのいずれかを、自分の選択で変えられることだ。結果が保証されなくても、どういう条件で結果を待つかには関与できる。

人事を尽くして天命を待つ。ただし、尽くせる人事が必要になる。

十分に準備しても攻撃が外れることはある。その1回を悔しく感じることもあるだろう。それでも、自分が何を備え、何を賭けたのかが分かるなら、失敗を含めてその戦闘には判断の履歴が残る。

最善を尽くした先に残る不確実性は、ただの理不尽ではなく、戦闘のドラマになりうる。

思考のフィードバックが報酬

ではまとめよう。

ここまで見てきた仕組みは、プレイヤーの側からは、どのような体験になるのか。

想定したタイミングで敵をブレイクできる。温存したBPを攻撃の好機に使い、大きくHPを削れる。敵が動く前に処理できれば、ノーダメージで戦闘を終えられる。

これらの結果に共通するのは、うまくいった理由を、自分が選んだ手順へ結びつけられることだ。

単に大きなダメージが出た場合と、準備したうえで狙った時点に大きなダメージが出た場合とでは、同じ数字でも意味が違う。

後者には、今はBPを使わずに残す、先に強化する、攻撃役より前にブレイクするといった判断が含まれる。最後の一撃は、その1回だけの成果ではなく、そこまでの選択を回収する結果になる。

ノーダメージ撃破も同様だ。偶然攻撃を受けなかったのか、敵の行動前に止める手順を組めたのかでは、結果の受け止め方が違う。自分の判断によって被害をなくせたと分かれば、「勝てる戦力だった」だけでなく、「うまく戦えた」という評価ができる。

選択が戦局へ届き、戦局の変化が自分の判断の手応えとして戻ってくる。その往復があるから、コマンドを選ぶことが、決められた結果までの作業ではなくなる。

オクトパストラベラーの戦闘の面白さは、ブレイクやBPという個別の仕組みを挙げるだけでは説明しきれない。それらが組み合わさることで、プレイヤーが敵の行動機会や攻撃の集中する時点に関わり、勝ち方を作れることが重要だった。

そのためには、計画の足場となる情報があり、予測した展開へ対処する手段が必要になる。不確実性が残っていても、そのリスクへ働きかけられるなら、判断は意味を失わない。そして結果から自分の選択がどう働いたかを読み取れることで、「自分が戦った」という感覚が生まれる。

これは、コマンドバトルの面白さをすべて説明する唯一の条件ではない。ただ、同じ操作形式なのに、戦いたくなるものと作業に感じるものが分かれる理由を考えるうえで、重要な軸になる。

面白いコマンドバトルとは何か。

それは、「プレイヤーが戦局をデザインできるもの」なのだと思う。考えることを求め、そのための材料と手段を渡し、考えたことに結果で応える。

オクトラの面白さを支えているのは、そのような誠実な設計なのではないか。

戦闘情報をもとに予測と判断を行い、その結果が自己効力感として返る流れを示した図

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