転売の何が悪いのか?FF14で転売をしてわかった「悪質な転売」と商売の違い

ネットで議論になるたび、結局終結しないものと言えば「転売」が思い当たる。

転売問題は本当に盛り上がる。なんなら、PS5やNintendo Switchのようなゲーム機から、マスク、消毒用アルコールなどの生活必需品、あるいはポケモンカードやハッピーセットの限定品のように、「転売のせいで話題になったもの」も多い。

だが、定期的に槍玉に挙げられるのにも関わらず、この案件はまとまった終わり方を迎えない。結論としてはほぼ「転売ヤーはカス」「転売はビジネス」のような二極化した個人の感想だ。

転売は悪なのか?

そんな純粋な疑問は、これまでの度重なる転売問題を経ても解消されたようには思えない。よく見るオチとしては以下だ。

  • 転売そのものは悪じゃなく、買い占めが悪い
  • 欲しい人が買ってるんだから市場原理として正しい
  • メーカーの努力不足
  • 転売ヤーから買う人がいるから成立してるだけ
  • 商品によって違う

どれも「それっぽい」。しかし、「マスクが必要な人に行き渡らず一部のバカのせいで流通が滞っている」・・・・・・こんな邪悪な状態において、「転売は悪じゃないよ」なんていうのは「たしかにな」とはなりづらい。

けれども、たとえば古本屋は同様に転売を行っている。これを「許せない!」と思う人は一体どれだけいるのだろう。骨董品や古着も、形式上は転売。ならば、これらさえ糾弾されるべきものなのか?

結局のところ、この議論がまとまらないのは「言葉の定義と射程を決めないまま感情論で語るから」に他ならない。そもそも転売を憎む人が議論に参加する際、それが断罪の方向に寄った結論になるのは自明だろう。

ただ、私はこの記事で、「厳正たる転売議論」とやらを行うつもりは一切ない。

展開するのは、『ファイナルファンタジーXIV』を用いて、転売の善悪という問いを考察するためのケーススタディだ。

「安く買って高く売る」という行為だけを見れば、小売も商社もせどりも転売も同じ。それなのに、なぜ一方は商売と呼ばれ、一方は迷惑行為と呼ばれるのか。

こういったことを考えるきっかけを書き留める。転売が悪かどうかを考える以前のフレームワーク・・・・・・何が問題で、何を注視すべきなのか、その考慮の助力になれば幸いだ。

私は転売ヤーです

「それ、転売じゃん」

今は昔・・・・・・当時FF14でやっていた商売について友人に話したとき、そう言われた。埒外の指摘ではなく、自覚していたので特に驚きはなかった。

どういう状況か、プレイヤー以外にも伝わるよう、以下で簡単に説明する。

FF14には、マーケットボードと呼ばれる、世界共通の市場が存在する。普通のゲームではNPCやショップから物を買うが、本作ではそれと別に、プレイヤー間がやり取りするためのデカいショップがあるのだ。

たとえば自分が拾った石、バトルで入手した凄そうなアイテム、自作した装備、ショップで買いすぎた日用品・・・・・・こういうものを自由に値付けして販売できる。出品制限はあれど、基本は自由だ。定価1ギルのものを50万ギルで売っても問題ない。

私は、クエストで納品を求められる装備品をマケボに並べていた。原価は1000ギルにも満たないものを2万から3万ギルほどで出品し、競合品が安値で出ていれば全部買い占め、自分の値段で出し直した。

安く手に入れたものを、高く売る。しかも、自作した商品だけでなく、他人が安く出した商品まで買って再出品している。言葉の意味だけで考えれば、たしかに転売だ。そんなわけで、友人に対して「そうだよ」と肯定していた。

これは、盗っ人猛々しいという意味ではない。引け目がなかったのは、一般的な「悪の転売ヤー」とは異なる商売だと考えていたからだ。

私がやっていたことと、PS5のような限られた商品を買い占め、定価を大きく上回る価格で売る転売とでは、同じ行為をしている感じがしない。

これは、自分の商売だけを正当化したいからそう思うのだろうか。それとも、同じ「安く手に入れて高く売る」でも、両者のあいだには本当に違いがあるのだろうか。

この違和感を分解していくと、転売の悪質さは価格差そのものではなく、誰が価値を生み、誰が選択肢を失い、利益と損失がどう分配されるかによって決まるのではないか、という仮説に行き着く。

自分の損失は商売になる

そもそも、なぜこんな商売を始めるに至ったかを説明したい。

まず、起点になったのは、私自身が客としてそういった商品を買ったことだった。

FF14にはクラフターという、ものづくりのジョブが存在する。シンプルに、素材から別アイテムを作る専門家だ。しかし、これはただレベルを上げればいいということではなく、定期的にクエストをこなさないと自由には制作できない(昇格試験のようなもの)。

クエストでは、指定された装備品などを作って納品する必要がある。もちろん、クラフターのクエストなのだから、自分で作るのが本来の進め方だ。しかし、その時点で使えるスキルをやりくりし、必要な素材をそろえ、指定品を完成させるのは面倒だ。

私の目的は製作工程を味わうことではなく、さっさとクエストを終わらせて先へ進むことだった。というわけで、マケボで完成品を買って納品した。クエストの出題者からすると最悪の態度だろう(もちろん進行に影響はないが)。

さて、ここで1つ思いつく。同じように考える人がいるのではないか、ということだ。

私が金を払ってでも飛ばしたい工程なら、ほかのプレイヤーにとっても金を払う対象になりうる。果たして私だけがクエストを省略するためにマケボを使うのか?とてもそうは思えない。

自分が顧客だったからこそ、どこに面倒があり、それを省くためにいくらまで払えるかがわかる。ならばこれは一転して、自分が儲かる側になれるのではないか・・・・・・これが発端だった。

FF14でクエスト用装備を自作せず、マーケットで購入して工程を短縮する商売の仕組み

そこからはスムーズだった。

まず価格。これは原価に一定の利益を加えるとかでなく、「すぐにクエストを終えられる手間賃としての上限はいくらか」を考えた。それが3万ギルであり、逆に5万ギルなどのぼったくりだと感じるラインも考慮した。

こういった感覚を起点に出品し、実際に売れることを確認して価格を維持。そして履歴なども鑑み、欲張らずに売れる値段の均衡点を探った。

やがて、単品を大量に売るのではなく、複数のクエストに対応できるよう、1種類在庫3つ、計18種類ほどの商品を常時並べる形になった。

在庫が減れば補充し、売れない商品は値下げし、競合の状況を見て、ときには取り扱いをやめる。よく売れる商品が見つかっても、同じものだけを大量生産するのは避けた。リスク分散の問題だ。

顧客は何に3万ギルを払うのか

原価1000ギル未満の装備品を3万ギルで売る。

数字を並べれば原価の30倍、商品そのものの価値だけを見れば極端な値付けに見える。しかし実際は飛ぶように売れ、「転売してんじゃねえ殺すぞ」みたいなメッセージも無かった。

さて、買い手が購入していたものは、本当にその装備品だったのだろうか。もちろんシステム的にはそうだが、一旦ここではその根源を考えたい。

このスキームの発端は「クエストをサボりたい」という怠惰さだ。だから同じ人に向けて販売し、売れた。となると、本質的にはその装備品が欲しいわけではないように思う(一部、本当に装備として使ってる人もいるかもだが)。

自作するのは面倒だ。素材を確認し、持っていなければ採集し、それらを加工、製作し、それでようやく納品できる。単にクエストを早く通過したい人にとっては、複数の小さな作業が連なった障害に近い。

完成品を買えばその工程を一度で飛ばせる。つまり、買い手の目的が「この装備品を自分で作ること」ではなく、「クエストを終えてレベルを上げること」なら、完成品は目的物ですらない。次へ進むための通行証だ。

そう考えると、3万ギルは装備品の原価に対して支払われたのではなく、工程を圧縮するための手間賃だったことになる。

とはいえこれはあくまで推論だ。少なくとも私自身が買ったときの動機はそうだったし、同じ商品が継続的に売れたことから、同様の需要が一定数存在したと私は解釈した。

この場合、私は製作物だけでなく、「何が必要なのかを調べず、素材も集めず、いまここで終えられる」という状態を売っていた。

現実のコンビニも、商品だけを見ればスーパーより高いことは往々にしてある。あるいはディスカウントストアや薬局のほうが、より安くラインナップも豊富な買い物が可能だろう。

じゃあみんなが価格だけを考え、コンビニを避けるのだろうか?現実は逆だ。

それでも利用されるのは、近くにあり、長い時間営業し、必要なものがすぐ見つかるからだ。客は飲み物や弁当だけでなく、移動時間や探索の手間を減らせることにも金を払っている。

商品自体に手を加えなくても、流通、在庫、品ぞろえ、アクセスのよさは価値になりうる。原価と販売価格の差だけでは、そこで何が交換されたかはわからない。

この交換価値の不明瞭さと、見える価値の明瞭さ・・・・・・ここの考慮に、転売というわかりやすいラベルが邪魔をするのだ。

買い占めは悪か?

この商売の過程で、買い占めを行うことは多々あった。

たとえば、同じ商品を他プレイヤーが3000ギルで出品したとする。このままでは3万ギルで並べた私の商品より先に売れてしまう。そこで、安い競合品を買い取り、自分の商品と同程度の価格で出し直していた。

安く出した人は、その人が納得した価格で売却できる。私は差額を得られる(売れた場合)。在庫も補充できる。1つの取引だけを見れば、売り手、買い手、再販売者の全員が自分の意思で参加している。

だがここでひとり、割を食いそうな人がいる。別の購入者だ。

私が安い商品を消したことで、次にマケボを見た完全に無関係の人は3000ギルの商品を選べなくなる。3万ギルの商品ばかりが並ぶ状態を、私自身が作っているからだ。

ここには、私にとって都合の良い商品棚を維持する行為と、消費者がより安く買える選択肢を減らす行為が、同じ商売の中に共存していた。

さて、この場面を見れば「便利さを提供していたから問題ない」とは言い切れない。友人が言った「転売じゃん」という指摘は、やはり当たっている。安く出品されたものを買って高く売る(押し付ける)・・・・・・典型的だ。

ただ、ここで「やっぱり転売は悪い」「この商売はクソだ」とするのは時期尚早だ。

そもそも、安い商品を買い占めた時点で悪質な転売になるのだろうか?

私が安い出品物を買えば、その時点でマケボにある在庫は減る。自商品への誘導はたしかに可能だ。だが、私にできるのはそこまで。

新規参入を止めることはできない。他のプレイヤーはいくらでも同じ装備品を出品できる。私が100個買い取ったとしても、誰かが101個目を作れ、出せる。そして買い手は自分で作ることも、別の売り手や別サーバーの商品を探すこともできる。

つまり、私は市場に出ている在庫には介入できても、供給源そのものは支配できない。

ここが世間的な悪の転売とは構造が異なる。いわば、消費者に選択肢が存在するのだ。

たとえばPS5のように、消費者が自分で製造できず、供給数にも限りがある商品では事情がまったく違う。一般消費者と転売者が同じ在庫を取り合い、転売者が大量に確保すれば、その分だけ定価で一般消費者へ届く数量が減る。新たに参入した個人が、同等品を作って供給を補うこともできない。

両者はどちらも買い占めだが、市場に与えられた影響力が違う。FF14で私が消せたのは、いま見えている安値だけだ。供給が限られた商品の転売では、買い占めによって安値の供給経路そのものを細らせることができる。

ここから考えると、問題の中心は買い占めという動作ではなく、それによって他者の選択肢を実質的に消せるほど供給を支配できるかどうかにあるのではないか。

これは、私の行為を無罪にする説明ではない。安い選択肢を一時的に消した、ある意味で悪意が付随した行為であることは変わらない。ただし、その影響がどこまで及び、買い手がそこから逃れられるかは、同じ「買い占め」の中でも分けて考える必要がある。

FF14の再販売と供給制限商品の買い占め転売における、供給経路と購入選択肢の違い

「嫌なら他で買えばいい」

売り手が自由に価格を決めてよいなら、買い手にも買わない自由がある・・・・・・これ自体はそのとおりだ。しかし、形式上は断れることと、現実的に別の選択肢があることは同じではない。

つまり、「嫌なら買うな。他で買え」「いやお前のせいで『他』がねーんだよ」ということも起こりうるわけだ。

さて、やっていることは転売のそれであっても性質は少し異なる。私の商売では、一部の選択肢を狭めても、代替経路すべてを支配することはできなかったからだ。

  • 自分で作る
  • ほかの出品者から買う
  • 別サーバーで探す
  • 安い商品が出るまで待つ

どうあがいても私から買うしか無い・・・・・・なんてことはない。どの方法にも時間や手間はかかるが、逃げ道は他にもある。そもそも私が売っていたのは貴重品とかでなく、時間と手間の省略だけだ。

だから少なくとも、私には「3万ギルを払いたくなければ、私から買わなくてもよい」と言える余地があった。買い手は、ギルを払うか、別の手段に時間を払うかを選べる。

一方、転売者が定価の商品を大量に確保した結果、通常の販売経路では買えなくなっている場合、「転売価格が嫌なら定価で買えばいい」は成立しない。

定価で買えるという選択肢が失われたからこそ、転売価格での取引が成立している。そのうえで「買うかどうかは自由だ」と言っても、残されているのは高値で買うか、商品を諦めるかという選択だけと、実質的な拒否権が大きく狭まっている。

したがって、取引の自発性を考えるときは、購入ボタンを自分で押したかどうかだけでは足りない。売り手の提示した条件を拒否しても、買い手が同じ目的を現実的に達成できるかを見る必要がある。

転売への違和感を考えるうえで、買い手に実質的な拒否権があるかどうかは、大きな判断軸になる。

もちろん、「別の手段が1つでも存在すれば問題ない」という意味ではない。代替手段が存在するかではなく、その代替手段がどれだけ現実的か、転売者自身がどれだけその選択肢を狭めているかが中心にある。

私も安値を買い取ることで選択肢を減らしていた。ただし、供給そのものを止めたり、新しい出品者の参入を妨げたりすることまではできなかった。売り手がどの程度、買い手の代替手段を狭められるか、という連続量の話になる。

さて、ここまでの話を価格だけに戻すと、かえって論点を見失う。

原価1000ギル未満の商品を3万ギルで売った。価格差は大きい。しかし、高額であることや原価率が低いことは、それだけで悪質さの証明にはならない。原価を抑えて利益を多く取ることが邪悪なら、慈善事業以外のすべてが悪徳になる。

まずもって価値やサービスは、値段など、狭い範囲のものだけに依存しているわけではない。

  • コンビニ:立地と営業時間
  • 特急料金:移動時間の短縮
  • 宅配や代行:自分で運ぶ、調べる、作業するといった工程
  • 高級ブランド:それであるという特別性

価格には、商品そのもの以外に、場所、時間、在庫、情報、即時性、面倒の代行が含まれうる。何にいくらの価値を感じるかは買い手によっても違う。

私には3万ギルが妥当でも、別のプレイヤーには高すぎるかもしれない。それでも、別の手段が残っているなら、買わないことで拒否できる。

問題は価格差の大きさではなく、その差がどのように生まれたかだ。

もともと存在した不便を引き受けた結果として高くなったのか。それとも、買い占めによって不便や不足を作り、その解除料として高値を要求しているのか。同じ3万円の上乗せでも、この2つでは価値交換の向きが逆になる。

PS5転売における最大の問題

ではここで、いわゆる悪の転売とみなされる「PS5型転売(供給が限定的なものの買い占め)」について見ていこう。

以下で扱うPS5型転売は、PS5に関するすべての再販売を指すのではない。供給が需要に追いつかない局面で、転売目的の買い占めが一般消費者の正規購入機会をさらに減らすケースを、比較のためにこう呼ぶ。当時の市場状況の事実確認大会は行わない。

さて、これに対する反感を、単に「高すぎるから」で片づけると、正規の小売や代行サービスとの違いを説明できない。「何も作っていないから」という説明も弱い。前述したもののように、商品を加工せずとも価値を生む仕事はあるからだ。

じゃあ何が問題なのか。

これもすでに述べた通り、消費者の逃げ道がないことが大枠だが、その内部にいくつもの不和が存在する。

まず、供給が限られた商品の買い占めでは、消費者が定価で買えなくなる。

次に、転売者が確保した在庫が、実際に使う人へ届かないまま滞留することもある。

やがて、消費者の不満は転売者だけでなく、商品を十分に届けられないメーカーや販売店にも向かう。

結局、転売者だけが大きな利益(あるいは薄利)を得る一方で、購入できない人、正規の販売経路、商品への信頼など、多大な周囲に負の影響が広がってしまうのだ。

問題なのは、利益が一部に集中すること自体ではなく、その利益を得る過程で、一般消費者の購入機会や正規流通への信頼といった損失が、取引に直接参加していない周囲へ広く押し出されることだ。

ここで重要なのは、「本来メーカーが得るはずだった利益を転売者が奪った」と考えることではない。メーカーは定価で商品を販売しており、転売者の利幅がそのままメーカーの損失になるわけではないのだ。なんなら、売れているのだからそこで利益そのものは発生している。

問題は、ごく一部の転売者だけが得る利益に対して、市場全体に発生する不満や損失が大きすぎることだ。しかも、その利益は不足を解消した対価ではなく、不足した状態を利用し、ときには自ら悪化させることで生まれている。

つまり、少数勢の悪質な行いによる利益の不均衡。ここに、倫理以前の問題が発生している。

価値を増やして利益を得るのではなく、ほかの人の選択肢を減らし、その減少分を自分の利益へ変えている・・・・・・PS5型の転売に対する嫌悪感は、この交換の偏りから生じているように思う。

「市場価格だから正しい」は本当?

さて、転売を擁護する立場からは、「その価格でも買う人がいるなら、それが市場価格だ」という反論が絶対に出てくる。

たしかに、個別の取引だけを見れば、一面では正しい。売り手が5万円を提示し、買い手が納得して購入したなら、両者のあいだでは取引が成立している。第三者が、原価や定価だけを根拠に、その合意を無効だと決めつけることはできない。

ただし、その価格が生まれた過程まで正当化できるわけではない。

仮に1万円で売られている商品を誰かが買い占め、市場から1万円の商品を消したあとで、同じ商品を5万円で並べたとする。それでも必要な人が5万円で買えば、観測される取引価格は5万円になる。

しかし、買い占めた本人が供給環境を変え、その結果として成立した価格を「市場の総意」と呼ぶのは循環している。

市場価格に意味があるのは、売り手と買い手の自由だけでなく、競争や新規参入が働き、複数の選択肢を比較できるからだ。

私の商売に話を戻せば、買い占めて自分の商品だけを並べ、そちらへの誘導自体はしていた。けれど、これは必ずしも上手く行かず、見抜かれて対策されることもままあった。繰り返し安値で出されるなど、だ。

となると、私が一方的に買うだけで、しかし私の適性の値段では売れず、在庫だけが積み上がる。そんなわけで撤退した商品なども数多くあり、市場価格だなんだと宣って支配することは出来なかった。

これも結局は、私だけじゃ市場を制圧できないという巨大さの問題だ。そしてこれこそが、悪質な転売を防ぐシステムでもある。

複数の事業者が価格を相談してつり上げるカルテルが問題になるように、市場で決まったように見える価格でも、その前提となる競争が壊れていれば、価格がついたという事実だけで過程の妥当性は証明できない。

「売れたのだから正しい」では、売れる状況を誰がどのように作ったのかが抜け落ちる。市場は結果だけを映す装置ではなく、参加者の行動によって形を変える。その変化まで含めて見なければ、自由市場という言葉が、市場を狭めた側の免罪符になってしまうのだ。

小売、せどり、転売の違い

ここまでの基準を現実の商売に当てはめると、小売、せどり、転売の境界は、名称だけではきれいに引けない。

コンビニは、仕入れた商品を仕入れ値より高く売る。しかし、立地、営業時間、在庫、品ぞろえを用意し、必要なものをすぐ買える状態を作っている。客にはスーパーやほかの店舗という選択肢もある。価格差の代わりに、アクセスのよさを増やしている。

商社や流通業者も、似た構造だ。安い場所で仕入れたものを別の場所で高く売る。それでも商売として成立するのは、運搬、情報収集、契約、在庫管理などを担い、買い手だけでは到達しにくい商品を届けているからだ。売り手と買い手のあいだに入り、距離や手間を減らしていることに価値を出している。

中古品の売買や、いわゆるせどりは、さらに曖昧になる。埋もれていた商品や見つけにくい商品を探し出し、必要とする人が見つけられる市場へ戻すなら、探索や流通の価値を加えている。

一方で、数の限られた商品を先回りして買い占め、通常の購入経路を塞いでから高く売るなら、同じ再販売でも供給阻害の側面が強くなる。

私がFF14でしていたことも、単純に分類はできない商売だ。

クエストに必要な品をそろえ、在庫を切らさず、製作の手間を省くという意味では、小売や代行に近い価値を提供していた。その一方で、競合の安値を買い取って消していたのだから、価格競争を弱める行為もしていた。

完全な白ではない。悪質さもあると言えばある。しかしここで言いたいのは、善か悪かの二択ではなく、1つの商売の中にも価値提供と選択肢の制限が同時に存在しうるということだ。

行為の名前だけでは、どちらが支配的なのかを判定できない。

似た仕組みであっても裏の構造が異なる・・・・・・ここに、ぱっと見では判断できない複雑性があるのだ。

転売への違和感の正体

ここまでを踏まえて、結論と行こう。許せる転売とそうでないもの、その差は何か?

転売への嫌悪感がどこから生まれるのかは以下3つの観察軸で整理できる。

1:売り手が何を増やしたか

流通を整えたのか。情報を集めたのか。在庫を持ち、買える時間や場所を広げたのか。買い手の手間や待ち時間を減らしたのか。それとも、希少性、不便、不足を増やし、それを利益に変えたのか。

2:買い手に本当に拒否権があるか

ほかの店から買う、自分で作る、代替品を選ぶ、入荷を待つといった手段が現実的に残っているなら、買い手は高値を拒否できる。しかし、売り手自身が代替経路を塞いでいるなら、形式上は任意の取引でも、選択の幅は狭い。

3:売り手の利益に対して周囲にどれだけの損失が生じるか

ひとりが利益を得ることで、ほかの多数が商品を買えなくなるのか。正規の販売者やメーカーにまで不満が波及するのか。市場全体の利便性や信頼が損なわれるのか。利益の額だけでなく、そのために誰が何を失ったかを見る必要がある。

転売の悪質さを考えるための、価値提供・買い手の拒否権・周囲への損失という3つの観察軸

これらを考慮し、私のFF14転売とPS5型転売を改めて考えてみよう。

まず、売り手が何を増やしたか。

私は買い手のクエスト短縮という時短の価値を生んだ。PS5型転売では、買い手に即時入手という便益が生じる場合があっても、その便益が正規購入機会の減少と表裏一体になっている。

次に、買い手に拒否権があるかどうか。

私は他の出品者の出品を止めることが出来ず、他サーバーまでも踏まえるとごく小さい範囲と期間のみの支配しか行えない。PS5転売など供給制約と買い占めが強いケースでは、正規価格で入手する現実的な選択肢が大きく狭まる。

最後に、売り手の利益に対して、周囲にどれだけの損失が生じるか。

私が発生させうる損失は「もっと安く買えたかもしれない」という可能性で、PS5転売は消費者だけでなくメーカーや仕組みそのものへの不信や不満などの損失を多大に起こしうる。

一応、PS5型転売にも、「金を払えば今すぐ手に入る」という便益自体はある。ただし問題は、その便益だけを切り離して評価できないことだ。

転売者が定価在庫を確保した結果として通常の購入機会が減り、その不足を避ける手段として高額転売が成立しているなら、提供した利便性と、自ら減らした利便性を同時に見る必要がある。

さて、これは、「3つを満たせば善、満たさなければ悪」と機械的に判定するための表ではない。同じ取引でも、価値を増やす面と選択肢を減らす面は混在する。程度や市場環境によって評価も変わる。

ただ、転売に対して抱く漠然とした嫌悪感を分解すると、価格の高さよりも、この3つに集約されるように思う。売り手が得た利益と、買い手や市場が受け取った価値のあいだに大きな偏りがあるとき、その商売は悪質なものに見えるのだ。

「転売だから悪い」は何も説明していない

ここまで書いて思うのは、「転売」という言葉は便利すぎるということだ。

安く仕入れて高く売るという1点だけを取れば、その中には小売も、流通も、せどりも、価格差を利用する取引も、買い占めも、希少品の高額転売も入る。しかし、それらは千差万別で、同じ価値を生み、同じ損失を与えるわけではない。

だから、「転売は善か悪か」と問うこと自体が、少し雑なのだと思う。

見るべきなのは、その取引によって何の価値が増えたのか、誰の選択肢が減ったのか、利益と損失がどこへ移動したのかだ。高く売ったという結果だけでなく、その価格差が生まれるまでの構造を見なければならない。

FF14で、私はたしかに転売をした。安い競合品を買い取り、より高く売った。

ただその一方で、市場そのものを封鎖することはできなかった。ほかのプレイヤーは新たに商品を作れたし、買い手には他人から買う、自作する、別サーバーを探す、待つという選択肢が残っていた。

そして私が主に売っていたのは、クエストに必要な装備品そのものより、製作と調達の面倒を省き、すぐに先へ進めること・・・・・・商品外の価値だった。

私の商売が正しかったと断言することはできない。買い手が安値で買える機会を減らした以上、完全に潔白だったとも言えない。

しかし、悪質な転売と一緒くたに語るのも違うように思う。供給が限られた商品を買い占め、一般消費者の購入経路を狭めて高く売るPS5型転売と同一視するには、価値交換の構造が違うのだ。

転売という名前は、行為を分類することはできても、その善悪までは説明してくれない。

だから、転売というラベルだけを見るのではなく、その取引が何を増やし、誰の選択肢を減らし、その利益のために誰が何を失っているのかを見る。その構造を見なければ、同じ言葉の中にある違いは捉えられない。


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