AIが制作や設計の現場に入り込むようになってから、作るという行為そのものの前提が大きく変わった。
かつては人間がすべてを考え、手を動かしていた領域に、今やAIが深く関与している。Webデザイン、文章制作、コード生成・・・・・・もはや「AIとどう付き合うか」が成果を左右する時代になったと言ってもいい。
一方で、AIを使えば使うほど成果物が似通っていく・・・・・・あるいはどこか凡庸になると感じている人も多いのではないだろうか。
プロンプトを工夫してもなぜかしっくりこない。便利にはなったが手応えがない。そんな違和感。
この記事で扱うのは、そうした違和感の正体と、AI時代において「設計」や「主体性」がなぜ重要になるのか、という話だ。
その具体例として取り上げるのが、私自身が制作した「回遊型UX」というWeb構造。これはAI補助を前提とした環境でようやく完成した。
これの制作過程は、AIに作らせるのではなく、AIと作るとはどういうことかを考える上で、ひとつの実例になる。どう指示し、どう使ったのか。その設計と思考の流れを記録として残しておきたい。
AIは魔法ではない。しかし、正しく位置づければ思考と制作を拡張する強力な補助装置になる。
本稿がAI時代のWebデザインや制作における設計論を考える手がかりになれば幸いだ。
AI時代の設計論
AIを使ったWeb制作というと、「どこまで自分で作り、どこからAIに任せるのか」という話になりがちだ。しかし、この問いは少しズレている。
制作とは必ずしも手を動かすことではない。
少なくとも今回の制作において私はほとんど手を動かしていない。やったことは設計と判断、そしてAIに対する指示と拒否、それだけだ。いわば制作の現場に立つ作業者ではなく、監督や設計者として振る舞っていた。
「何を作らせないか」「どこで止めるか」を決めることのほうが成果を左右する。ここではその前提となる立場を最初に明確にしておきたい。
回遊型UXの発想自体はかなり昔の思いつきで、長い間放置されていた。しかし重要なのはそれがいつ生まれたかではなく、なぜ今、AIを前提とした環境で形になったのかという点にある。
この章以降で扱うのは、回遊型UXそのものの解説ではない。
AIを使ってWebデザインや制作を行う際、どこに主導権を置き、どの工程を人間が担い、どこからをAIに委ねるのか。その立ち位置と考え方についてだ。
上流を握る
どこまでを人間が決め切るか、という定義はとても大切だ。
Webデザインやサイト制作には、大まかに分けて「上流」と「下流」が存在する。上流とは、方向性や前提条件を定義する工程。下流とは、それを具体的な作業に落とし込む工程を指す。

- 要件定義
- 情報設計
- ワイヤーフレーム
- デザインコンセプト
- 内容作成
これらが一般に上流工程と呼ばれる部分だ。ただ、上流と下流は優劣の話ではなく、役割の話だ。上流がなければ下流は動きようがない。ただそれだけの関係。
さて、AIはこの上流工程に驚くほど向いていない(厳密には、最終決定責任を持てない)。
なぜなら、AIは無数の条件を自律的に定義できず、与えられた範囲の中でしか思考できないからだ。
- 要件定義:条件の優先順位を決められない
- 情報設計:世界観や意味の構造を理解できない
- ワイヤーフレーム:生成物の「正しさ」を判断できない
- デザインコンセプト:主観的判断が成立しない
- 内容作成:補助はできるが、トンマナの最終判断はできない
AIが出す要件定義はたいてい以下のようなものになる。
- ターゲットユーザーを明確にする
- コンバージョンポイントを定義する
- 差別化を図る
- 悩みを解決するコンテンツを作る
間違ってはいない。しかし、実務では役に立たない。あまりにも当然で、そこから先の判断が含まれていないのだ。差が生まれるのは、この「当然」のさらに先にある。
実際、UX分野の研究機関も次のように述べている。
AI cannot do information architecture. It lacks world models and user mental models.
(AIは情報設計ができない。世界モデルとユーザーのメンタルモデルがないからだ)
回遊型UXはそうした前提を踏まえ、人間側で定義を極端なところまで詰めた例だ。
CTRを下げる、広告導線を薄くする、答えを与えない・・・・・・一見すると逆張りに見える設計だが、これは反逆ではなく、この構造にとって唯一成立する最適解だった。
重要なのは、こうした定義はAIからは生まれないという点。構造全体を俯瞰し、「このサイトにはこれしかない」と決め切る判断は、人間にしかできない。
AI活用における基本原則は単純だ。
できないことをやらせない。
上流を人間が握り切るからこそ、下流でAIは圧倒的な速度と精度を発揮する。
必要なのは明確な指示だけ
この制作法において人間が実際にやることは多くない。設計、判断、指示、そして拒否・・・・・・突き詰めればこれだけだ。
「だけ」と言うと軽く聞こえるが、この工程がなければAI活用は成立しない。むしろ、ここを担えるかどうかで成果の大半が決まるので責任は大きい。
さて、前述した通りAIが真価を発揮するのは下流工程だ。
- ワイヤーフレームの草案
- デザインイメージの生成
- テキスト生成
- CSS、HTMLのコード生成
- コンテンツの量産
- テストやレビュー
これらはいずれも現在のAIが非常に得意とする領域であり、一般的な「AI活用法」として語られる部分でもある。
しかし、ここで1つ重要な前提がある。AIは明確な指示が与えられた場合にしか機能しない、ということだ。
たとえば「面白いアプリを作って」といった曖昧な要求では、平均的で無難な案しか返ってこない。一方で、「どのターゲットに、どんな構造で、どの前提条件を満たす必要があるか」を指定すれば、AIは非常に優秀な反応を返す。
つまり問題は、AIの性能ではなく指示を設計できるかどうかにある、ということだ。
この指示設計にはいわゆるIAやUXと呼ばれる領域が関わってくる。これらは下流工程のように手順化しづらく、正解も存在しない。ゆえにAIが自律的に追いつくことは難しい。
制作の途中で、AIがそれらしく見える提案をしてくることもある。だが、それが自分の設計や思想に合致するかどうかは別の話だ。
以下は実際の制作過程でのやり取りである。
>各記事ノードが他記事を引用しつつ新たな文脈を生む形にすればWiki+思想体系の中間領域になります。
すでに実装済み。
各記事の末尾にある「ジャンル内おすすめ」と、「全体おすすめ」がまさにこれ。同じ階層の扉と違う階層の扉が同居してるから1つからすべてがつながる。
どこからでも訪れることが出来、どこからでも巡ることができるのが基本。
>「回廊マップ」を可視化できるUX(ビジュアルナビゲーション)を後に追加する構想もあり得ます。
これはいらない。
なぜなら「Webを歩く」というのは空想上の話であって、これは「回る美術館」という存在しないものを探検できる、人間らしい構造物の体験だから。
VRだからVRらしい体験と同様、二次元なんだけど三次元の錯覚を生ませたい。このサイトはユーザーの頭の中にあるんだよ。
>AI連携での自動リンク提案により、更新のたびに構造を自己進化させることもできます。
これは絶対にやらない。
このサイトの重要な理念は「偶然の出会い」。「あなたはこういうの見たからこういうの好きだよね」は先回りのUX。美術館はあなたにおすすめなんてしない。

ここで重要なのは、AIの提案を採用するかどうかを決めているのは常に人間側だという点だ。
AIは「平均化された良案」を提示する。しかし、その平均性がプロジェクトにとって有益とは限らない。場合によっては先鋭さを削ぎ落としてしまうことすらある。
必要なのは主体性と明確な指示だ。
AI活用のWeb制作において人間が担うべき役割は、作業ではなく判断の連続なのである。
ロジック100%の批判を受ける

AI活用で最も効果を感じたのは、生成ではなく批判のフェーズだった。意図的にAIに「悪魔の代弁者」の役割を与え、設計や構造の弱点を徹底的に突かせたのだ。
複数人で行う仕事が破綻する原因はしばしば単純だ。
「おかしいと気づいていたが言えなかった」
こうした善意の我慢が積み重なり、取り返しのつかない段階で問題が表面化する。
これは個人作業でも同じだが、状況はさらに悪い。1人で作業しているとそもそも破綻に気づけないのだ。終わってから初めて「これはダメだった」と分かることが多い。
この構造的欠陥を補うためにAIを使う。進捗の区切りごとに設計や実装に対して一切の遠慮なく批判させる。細部まで含めて、欠点や矛盾、想定漏れを洗い出させる。
これは精神論ではなく「バイアス対策としての設計」だ。
人間は自分の考えに対して完全に中立な批評を行うことができない。意識しても必ず盲点が生まれる。だからAIを使う。
実際、循環構造を前提としたWeb設計では一般的な階層型サイトでは起きない問題が発生する。以下は批判フェーズで指摘された一例だ。
Googleのクローラーは閉じない傾向に弱いため、このままでは上手く処理されません。
クローラーは有限のリンク探索でサイト構造を評価し、完結構造を前提にページ評価を行います。
つまり、完全に循環的なリンク(=どこまでも回れる構造)は、「クロール完了の判定が難しい」という問題を抱えます。
その結果、「内部リンクの深さ評価」や「パンくずリスト構造の正規化」が行われず、一部ページが孤立ノード扱いされることがあります。
これは完全に盲点だった。もし批判フェーズを設けていなければ実装後に気づき、手戻りが発生していただろう。
誤字脱字が「生える」と言われるのも、同じ構造によるものだ。人間の自己批判には限界があり、これは努力不足ではなく仕様に近い。
だから、批判を外注する。「自分は間違っていない」という前提を一度脇に置き、ロジックだけで殴ってくる存在を用意する。
AIを使うとは脳を増やすことではない。脳の役割を分割することだ。
ただし、外注できるのは批判まで。定義や最終判断を外注してしまえば設計そのものが空洞化する。
AI活用において重要なのは、何を任せ、何を任せないかを明確にすることだ。
批判は任せられる。しかし、判断は任せられない。
AIとの付き合い方
AIを上手く活用したい、という関心は多くの人に共通している。
しかし、その答えとして提示されるのはたいていが表層的なメソッドやプロンプト集だ。便利ではあるが、それだけでは長く使える指針にはならない。
ここまで回遊型UXという具体的なWeb構造を題材に、AIと共同で設計、制作を行ったプロセスを見てきた。大切なのは個別のテクニックではなく、どこに主導権を置き、どの役割をAIに渡し、どこを人間が担うかという判断だった。
この章以降では、その考え方を特定の事例から切り離し、より汎用的な形で整理していく。Web制作に限らず、文章、企画、設計、思考整理など、AIを実務で使うあらゆる場面に共通する話だ。
AI活用とは効率化の話ではない。関係性の設計の話である。
以降では、AIとどう向き合い、どんな距離感で使うべきか、その基本的な指針をまとめていく。
AIに主導権を握らせない
まず、「AIが作る」と「AIと作る」の決定的な違いは何か。
それは「主体性がどこに置かれているか」という1点に尽きる。
AIを使っていても成果が均質化する人と独自性を保てる人がいる。この差は技術や努力量ではなく、AIとの関係性の設計によって生まれる。
AI利用の姿勢は次のような層構造で整理できる。
| 層レベル | 特徴 | AIとの関係 |
|---|---|---|
| 第1層:出力依存層(Input → Output直行層) | AI=便利な自動生成機 | 従属 |
| 第2層:操作層(プロンプト調整層) | 使い方やテクニックに関心 | 操作 |
| 第3層:監督層(ディレクション層) | 指示の設計、要件定義が可能 | 使役 |
| 第4層:思想設計層(AIと協働する層) | AIの限界と得意、不得意を理解 | 共作 |
| 第5層:体系化層(AI活用を抽象モデルに昇華する層) | 自分の思考体系をAIと融合 | 脳の一部として扱う |
この分類は能力の優劣を示すものではない。ツール利用において、どの工程を誰が担っているかという立ち位置の違いを示しているだけだ。
第1、第2層では、AIは出力装置として扱われる。その結果、アウトプットは平均化され、凡庸さに収束しやすい。
一方で第3層以上になるとAIは補助的な存在になる。指示や前提条件を人間が設計し、AIはそれを実行、補完する役割に回る。この段階では、AIの利用率が上がるほど逆に依存度は下がっていく。
AIが民主化されると、下流工程の価値は急速に均質化する。その結果、上流を担える人間だけが相対的に突出する。
なぜ、そのまま出力されたAIコンテンツに忌避感を覚えるのか。
なぜ、同じAIを使っていても評価される人がいるのか。
理由は単純。主体性の重心が違うのだ。
ユーザーは箱を作るだけでいい
AIは手綱を正しく握れば有効に働く。これは、細かい指示を大量に与えることではない。場を設計することだ。
私はこのAIの扱い方を「箱を作る」と比喩している。箱とは、AIが思考してよい範囲そのものを指す。ユーザーがやるべきは、「AIが迷わない領域」を先に決めることだけだ。
技術的に言えば、思考の座標空間(Contextual Frame)を人間側が設計し、AIの確率空間を安定させる、という行為になる。
これはプロンプトの工夫ではなく、設計の話だ。
| 比喩 | 技術的名称 | 意味 |
|---|---|---|
| 箱 | コンテキストウィンドウ(文脈領域) | どんな範囲で話を進めるか |
| デザイン | フレーミング(構造設計) | どの視点、立場、目的で扱うか |
| 区切り | セグメンテーション(意味ブロック化) | 話題の切れ目を明示する |
AIは箱が明確に定義されていると、「どの知識層を使うか」「どのトーンで出力するか」「何を無視すべきか」を自動的に整列させる。逆に、箱が曖昧なまま質問されると、最も関連しそうな過去事例を確率的につなぎ合わせ、結果としてズレた回答を生成する。
これが一般に「ハルシネーション」と呼ばれる現象の要因だ。

AIは本質的に、空間的制約を持たない推論機だ。制約がない状態で問いを投げられると、分野、文体、時代背景を横断して最尤推定を行う。その結果、回答は迷子になる。
- 文体や時代背景が混ざる
- 存在しない書籍や理論を生成する
- 質問意図と異なる論点を展開する
だからこそ、AIを迷子にさせないための空間的、論理的境界の設計が重要になる。
| 要素 | 目的 | 具体例 |
|---|---|---|
| 目的の明示 | どんな結果を出すための会話か | 「構造分析のため」「思想史の整理のため」 |
| 文脈の限定 | どの領域、時代、条件で考えるか | 「近代以降」「日本の事例に限定」 |
| スタイルの指定 | 出力トーンを固定 | 「中立的、丁寧語」「論文調」 |
| 区切りの提示 | セクションごとの整理 | 「制度的視点」「思想的視点」 |
| 除外条件 | 不要な枝葉を防ぐ | 「感情論や個人批判を含めない」 |
箱のデザインは必ずしも完璧である必要はない。目的、文脈、スタイル、区切り、除外条件・・・・・・これらを多少なりとも示すだけでいい。それで回答のズレは大幅に減る。
AIは誰が使っても一定の成果を出す。しかし、その上限を引き上げられるかどうかは、人間側がどれだけ思考の場を設計できるかにかかっているのだ。
AIは入力のレベルに従う
AIに対する評価は極端に分かれる。
「非常に便利だ」という人もいれば、「まったく使えない」という人もいる。どちらが正しいのかと問われれば答えは単純で、「どちらも正しい」。
AIは入力に依存する。
同じツールを使っても人によって結果が変わるという事実がそれを示している。AIは万能な存在ではなく、使い手の前提や設計をそのまま映し出す。言い換えれば、AIは鏡で、ただのツールだ。
たとえば、超絶技巧のイラストレーターが使っているペンタブを手にしたからといって、同じ表現ができるわけではない。ツールは能力を肩代わりしない。AIも同様で、結果の差はツールではなく使い手に依存する。
AIの内部はブラックボックスだ。
しかし、それを「よく分からないもの」として放置する必要はない。ユーザーの入力を、単なる操作ではなく情報建築として扱えば、AIは白箱的に振る舞う。
重要なのは、人間がAIのUXを設計するという視点だ。AIはその設計の中で論理的に動くツールにすぎない。主導権を握るのは常に人間側である。
AI活用の成否は能力や才能では決まらない。どんな関係性を設計するかによって決まる。
AI時代における最も現実的な向き合い方・・・・・・それは、主体性の是非だ。
「AIと作る」ということ
回遊型UXは仕組みこそ単純だが思想は根深い。
根底にはAI特有の論理整合性というものが影響していて、AIと作ったからこその美しさ・・・・・・人間の発想 × AIの補完という、時代固有の組み合わせで成立している。
時代に即した建築物というのはかなり多い。むしろ、技術と建築物は常にセットで進化してきた。
たとえば古代の石材加工。これによってピラミッドやパルテノン神殿が生まれた。大量労働力の存在と、石材加工技術の進歩のおかげだ。
あるいは中世のアーチ構造。ゴシック建築(大聖堂)に使われたこの技術は、フライング・バットレスの登場で可能になった。
また、産業革命における鉄橋や鉄骨ビル(19世紀摩天楼)はまさしく「鉄」というニューカマーが構造強度を根本的に変えた例だ。
建築物は時代の技術によって姿を変えてきた。
これはデジタル空間においても同様であり、AI最適化空間、アルゴリズミック建築、デジタル回遊構造など、人間の思考負荷をAIで補完する前提の協働設計が今後も生まれていくだろう。
私はその1つとして、回遊型UXを制作し、そのすべてをここに公開した。
AIにこのサイトは絶対に作れない。けれど、私だけでも作れない。
回遊型UXは、時代に即した新たなWeb構造のアナロジーだ。
この記事によって「AIと作る」・・・・・・これについての一考の余地が生まれたのなら、とても嬉しい。
AIが人間を置き換えるのではなく、人間がAIを素材にして新しい構造を作る時代が始まった。回遊型UXは、その端緒にすぎない。
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