『ENDER LILIES: Quietus of the Knights』には、ひとつ特異な部分がある。それは、プラチナトロフィーの獲得率が非常に高い(2026年8月時点で12%)ということだ。

この数字の異様さは、他と比較するとよく分かる。一般的に、プラチナトロフィーの達成率は5%もあれば多いとされ、たいていは3%前後にとどまり、ものによっては1%以下もそう珍しくはない。
ADVなど、ジャンルによってはプラチナの獲得率が高いものもある。それでいうと、メトロイドヴァニアというジャンルでこの高さは、目立つ数字であるのは間違いないだろう。
そもそも、トロフィーや実績を好んでちゃんと集めるプレイヤーというのは、それだけで少数派といってもいい。「面白かった、満足、大好き!」と思うようなゲームでも、トロフィーに興味を示さない人は多いだろう。
また、Steamも同様だ。こちらはプラチナ(全実績獲得の証)はないにせよ、内容はほぼ変わらず、レリックの全収集やレベルマックスという最も困難なものでさえ獲得率は23%にも上る。

単にエンディングへ到達しただけでなく、収集や探索、レベル上げを含むコンプリート寄りの実績まで獲得率が高い・・・・・・これは異様と言ってもいい。インディーのメトロイドヴァニアというのにこの結果とは。
私もトロコンした。ただ振り返ると、特別なやり込みを始めた感覚はあまりない。「クリアしたゲームをさらに遊び込んだ」というより、途中まで開いていた引き出しを順番に閉じて、ゲームを遊び切ったという感覚に近い。
では、なぜエンダーリリーズはこの結果を成立させられたのだろう。
低難易度だから?トロフィーの数が少なかったから?ボリュームが無かったから?
これらの説明は、どうも不適切に感じる。それらしい答えだが、クリティカルでないような違和感。
ということで本記事では、エンダーリリーズがどのようにしてユーザーをスムーズに最後まで導いたのか、その精緻とも言える作り込みについて分析していこうと思う。
先に言うと、本作の高い実績獲得率をひとつの機能だけで説明するつもりはない。
- 1:ゲームそのものに先へ進みたくなる魅力がある
- 2:挑戦を中断させる摩擦が少ない
- 3:クリア時点で「遊び切るまであと少し」という位置まで自然に到達する
この3段階が連続していることこそ、高い完走率を生んだ主要な理由ではないか・・・・・・この考察を以て、以下に述べていく。
簡単ならばトロコンされるのか?
まず「エンダーリリーズが簡単だからそんな数字になるのでは」ということについて考えてみよう。ここで扱うのは2つだ。
- 簡単だから必ずしもトロコンされるわけではないこと
- エンダーリリーズを簡単なゲームとみなすのは苦しいこと
簡単ならばおしなべてトロコンされる・・・・・・これは本当だろうか。
『The Order: 1886』というゲームがある。2015年に発売されたシングルプレイTPSで、未だ称賛されている映像美を持つ作品だ。で、こちらのゲーム、クリアまでに10時間もかからないぐらいのボリュームで、難易度も低く、ムービーの合間に多少動かす程度に収まる。
やることが多すぎて、ゲームが難しすぎて、というゲームとは対照的だ。ならばトロコン率もきっと高いだろうと思うが、実際は約7%程度しかない。
また、『アサシン クリード オリジンズ』も気になる。こちらは過去のアサクリを一新したもので、操作性や難易度はかなり調整された。戦闘はソウルライクとはいえ、実際はかなり大味。そしてボリュームが膨大ということもない。
にも関わらず、プラチナは約4%にとどまる。こちらは探索や収集要素があるにせよ、しかし「簡単ならばそれすらも内包する」と考えた場合、やや奇妙に見える結果だ。

ここで言いたいのは「難易度はトロコン率に影響しない」ということではない。
簡単であることは、当然ながら完走を阻害しにくくする。ただ、それだけで高い取得率が生まれるなら、同じように難易度が低く、短時間で終わる作品も一様に高い数字になるはずだ。だが実際にはそうなっていない。
つまり「簡単さ」は条件のひとつではあっても、エンダーリリーズの数字を説明するには不足しているのではないか。
となると、ここには別の変数が考えられる。その1つとして有力なのが、「プレイヤーがそこまでやる理由付けが存在するかどうか」というものだ。これについては後述する。
では、もうひとつの論点、エンダーリリーズの難易度について述べていこう。
まず、本作は極端な高難度を売りにしたゲームではない。一方で、敵の攻撃を無視して進めるほど簡単でもない。そこはちゃんと時代に則ったソウルライク+メトロイドヴァニアの系譜であり、ボタン連打じゃ無理なのは明らかだ。
しかしそもそも「難しいのかどうか」は本人の主観がかなり入り混じる部分だ。普段こういうのを遊ばない人からすればおそらく地獄を見るだろうし、対して私のように初見か数トライで倒せてしまう人もいる。
ただ、私はそういう「慣れた側」の意見としても、エンダーリリーズは簡単ではないと言いたい。
たとえば騎士長ユリウスとの戦いでは、攻撃範囲や突進への対応を学ばなければ安定して突破できなかった。少なくとも私の場合、初見のまま力押しで通過できた相手ではない。何度か敗れながら、どの動きにどう応じるかを覚える必要があった。

だから難しい・・・・・・のではない。問題は「学習の必要性」だ。これがあるからこそ簡単ではない、と私は思う。
敗北したときに感じたのは、理不尽さよりも自分がまだ対応できていないということだった。攻撃を見切れなかった、欲張って反撃した、回避する方向を間違えた・・・・・・こういう失敗の原因を考えた。
私は、こういった学習が付随するかどうかこそ「簡単」か「難しい」を決めるのではと思う。考えないでもどうにかなるものは学習を要さない、だから「簡単なゲーム」であり、負けた理由を考え対策しなければクリアできないものこそ「難しいゲーム」だと。
これに同意できない人もいるかもしれない。ただ、結局言いたいのは「エンダーリリーズには攻略上の能動的な学習が要求されるので、何も考えず突破できる簡単さではない」というだけだ。
少なくともこの記事で問題にしたい「難しさ」は、単純な敵の体力やクリア時間ではない。プレイヤーが失敗の理由を読み取り、次の試行で行動を変えなければ突破できないかどうかだけ。
その意味では、本作は「何も考えなくても進めるゲーム」ではない。
ここまでを踏まえると「簡単だからトロコンできるだけだ」という結論への違和感が分かるはずだ。簡単なのにトロコンされないゲームもあり、そしてそもそもエンダーリリーズは簡単ではないのだから。
さて、本作が学習を必要とするゲーム性になっていることは述べた。ただ、それにもかかわらず、プレイ全体における感触は比較的軽い印象を受ける。
この2つは矛盾しているように見える。プレイヤーの成長の比重が重いものは、えてして苦痛を伴うものだろう。
しかし、難しさと遊びにくさを分けて考えると、両立している理由が見えてくる。本作が軽くしているのは、敵を倒すために必要な難易度そのものではない。そこへ再び挑むまでの手間や、ゲームの進行状況を管理するための負担なのだ。
「クリア」と「遊び切る」の距離感
エンダーリリーズのプレイしやすさはかなり顕著だ。このジャンルにさして明るくない人ですら、それは体感できるはず。その証として、多数のコンプ者の存在がある。
さて、その部分を考える上で、個々の便利な機能より先に、まずゲーム全体の進み方を見る必要がある。
エンダーリリーズでは、探索、戦闘、成長、収集が別々の作業として分離していない。マップを探索すればアイテムが見つかり、その過程で敵を倒せば経験値が入る。新たな穢者を得ることは攻撃手段の追加であると同時に、探索範囲の拡張にもつながる。
つまり、「先へ進む」というひとつの行動が、複数の達成条件を同時に進めていくのだ。
そのため、クリア後に改めて長時間のレベル上げを始めたり、特定の武器だけを延々と使って熟練度を稼いだりする必要はない。全実績獲得のためだけに周回し、高難度モードを攻略することも求められない。
普通に各地を歩き、行ける場所を調べているうちに、キャラクターの成長や収集がかなり進む設計になっている。
この構造はトロコン率の高さと非常に強い関連性があるように思う。
最初に言った通り、私もトロコンしようと思ってしたのではなく、結果的にそうなっていたという印象が強い。これはやや特殊だ。
本来トロコン作業というのはクリアとは別物だ。攻略サイトを検索し、各トロフィーに対してまったく別のアプローチを繰り返し、そしてクリアの次の栄誉としてプラチナを得る。
トロフィー獲得を目指すというのは実際かなり億劫。それひとつのためだけに、ただ往復ダッシュをするようなものもある。
しかし、エンダーリリーズはクリアの時点でそれなりにトロフィーが集まり、そして収集要素なども大方集まっているという状態になりがちだ。だから、ゼロから別の作業を開始するのではなく、もう少し集めるだけで終わる。
ここでは、コンテンツの量も効いている。本作はメトロイドヴァニアとして十分な広がりを持っているが、本筋とは別に巨大なやり込み領域を抱えているわけではない。クリアまでに訪れる場所と、ゲームを遊び切るために訪れる場所が大きく分断されていないのだ。
重要なのは、残りの量が少ないことそのものではない。クリア後に「ここからはトロコンを目指す」という別の目標へ切り替えなくて済むことだ。本編を進める過程ですでに大半の条件が進んでいるため、プレイヤーは新しい遊びを始めるのではなく、今までの遊びをそのまま閉じるだけでいい。
つまり、新しい目標を立てる必要がない・・・・・・目標切替コストが小さいのだ。

したがって、本作の全実績獲得は「ゲームをクリアしたあとさらにやり込んだ」というより、「残っていたものを見届けた」に近い。実績のために本来の遊びを中断し、別の作業へ切り替えた境目が薄い。
クリア時点で、もう少しで達成できるものがちらほらあるならば、それの収集はさして苦痛じゃない。だから、多くのプレイヤーはクリアの興奮そのまま、冷めないうちに残りを遊べる。
ただ、クリア後にプレイヤーがゲームを続けるかどうかは、単に残っているコンテンツの量だけでは決まらない。重要なのは、残りがどのくらいに見えるか、そしてそれまでの遊びの延長として取り組めるかだ。
ゲームによっては、エンディングへ到達したあとにも、大量の収集物、未消化のサブイベント、周回限定要素、高難度コンテンツなどが残る。
遊べるものが多いこと自体は価値だ。しかし、コンプリートを考えた瞬間に「まだこんなにあるのか」と感じれば、クリアが区切りとして機能し、そのまま離れる理由にもなる。
なぜなら、それらは別にやらなくてもいいものだからだ。
クリアは諦めにくい。しかし、どうでもいい収集要素はさして後ろ髪を引かれない。だから、楽しんでクリアしたけど別にやりこまないという勢力は多数派となる。
エンダーリリーズは結局、ゴールまでの距離が見えるため、全実績獲得が新たな長期目標にならないのだ。これが大きい。
この違いは、『Hollow Knight』と比べると分かりやすい。
ホロウナイトは広大な世界に多くの探索やイベント、高難度要素を抱えており、エンディングへ到達しても体験全体にはまだ大きな余白がある。それは同作の魅力である一方、クリアと遊び切ることが同じ地点にはなりにくい。
実際、私はクリアしたあとにも残る膨大なそれらに、ワクワクよりも予想できる疲弊にウンザリし、触れないまま終えた。まあクリアはしたしいいかと、そんな気持ちで。
これはどちらが優れているとかではなく、作品がプレイヤーに提示する終わり方が異なるだけの話だ。エンダーリリーズは、終わりの先にさらに多くの課題を置いて継続させるより、満足して終われる距離に最後のゴールを置いている。
走りきって終えるか、その先に別のコースが出現するか。
実績獲得率の高さは、この距離の短さだけで説明できるものではない。ただ、クリア後のプレイヤーが「もう十分だ」と離脱するか、「あと少しだ」と続けるかを分ける有力な要因にはなるだろう。
難しい ≠ 面倒くさい
ここまでの話を整理するには、「難しい」と「面倒くさい」を区別する必要がある。
本記事でいう面倒くささとは、新しい判断や学習をほとんど生まないにもかかわらず、進行するためだけに要求される反復、管理、巻き戻しだ。
ボスの攻撃パターンを読み、回避のタイミングを覚える。どの穢者を組み合わせるか考え、敵との間合いに応じて攻撃を選ぶ。新たに得た能力をどこで使えるか推測する。これらは面倒ではなく、判断を要する「難しさ」、探索型アクションの「遊び」だ。
一方、ボスへ再挑戦するたびに長い道を移動すること、死亡地点まで戻って失ったものを回収すること、回収済みか分からない全エリアを総当たりすることには、必ずしも新しい判断がない。
すでに通った道をもう一度進み、すでに分かっている手順を繰り返すだけなら、それは攻略対象というより攻略へ戻るための手続きだ。
ただボスと再戦したいだけなのに毎回エリートモブと戦うのは、ひたすらに面倒なだけだ。お前の顔も見飽きたぜと、そう言いたくもなるだろう。
また、エンダーリリーズがデスペナルティを放棄したのも、ここに関わってくるように思う。この手のジャンルでありがちな、死んだらそこで回収しなければならないという「お約束」が、本作ではオミットされているのだ。
死亡してもそれまでに得た経験値やアイテムを失わない。死亡地点へ戻って回収する必要もない。ボス戦の手前には休息地点があり、敗北しても短い間隔で再挑戦できる。再戦時には演出を飛ばせるため、同じ導入を毎回見直す必要もない。
その結果、敗北後に要求されることは、ほぼ「もう一度戦う」だけになる。
これは単に親切というだけではない。プレイヤーが向き合う対象を、ボスとの戦闘に絞る設計だ。先ほどの失敗を踏まえて回避のタイミングを変える、攻撃する回数を減らす、使う穢者を入れ替える。敗北から得た情報を、余計な作業を挟まず次の試行へ持ち込める。
私がこの手のジャンルで感じていた面倒くささは、敵が強いことそのものではなかった。強敵に何度も負けることは、攻略の過程として受け入れられる。問題は、その再挑戦が億劫なことだ。
リトライのたびに長い道中を走り直し、雑魚敵を処理し、失ったものを回収しなければならないなら、試行錯誤とは別の疲労が積み重なる。このストレスは本当に必要なのか・・・・・・そう思ってしまう。
エンダーリリーズでは、失敗したあとに同じ手続きをやり直すのではなく、同じ問題を解くだけだ。敗北の罰を軽くしても、敵の攻撃が見えるようになるわけでも、回避を代わりに入力してくれるわけでもない。攻略に必要な学習はそのままなので、勝利したときの達成感も失われにくい。
ボスの攻略は一切妥協させない。しかし、その再挑戦にはいたわりを与える。この姿勢が、本作には現れる。
もちろん、デスペナルティや不確かな探索が、常に不要だというわけではない。失う危険が緊張感を生み、帰還するか進むかという判断につながるとか、情報を限定することで、未知の世界を手探りする感覚が成立する作品もあるだろう。
したがって「負担を減らせばあらゆるゲームが良くなる」という一般論にはできない。
ただし「負担をかけまくれば達成感は倍々に増えていく」なんていうのもありえない。不愉快や理不尽が大好きなユーザーがいったいどれだけいるのか。
本作は、それらの負担を軽くしながら、戦闘や探索の中心にある価値や判断を残している。
エンダーリリーズは困難を消したのではなく、困難の周囲についている手続きを減らしたのだ。

同じ考え方が探索にも使われている。
本作のマップでは、部屋の状態を色で判別できる。まだ踏破していない場所、未回収の要素が残っている場所、すべて回収した場所が区別されるため、どこに探索の余地があるかを確認できるのだ。

ただし、マップがアイテムの正確な位置まで示すわけではない。分かるのは「この部屋にはまだ何かがある」というところまで。隠された通路を探すことも、高低差のある地形を調べることも、新たに得た移動能力の使い道を考えることも、プレイヤーに残されている。
この線引きが重要だ。
あると分かっているものを探すことと、あるかどうかも分からないものを探すことは、似ているようで異なる。
前者では、部屋の構造を観察し、怪しい場所を調べ、能力の組み合わせを試せる。後者では、すでに調べ尽くした可能性のある場所まで疑い続けなければならない。探索には「謎を解く負荷」と「探索状況を管理する負荷」があるのだ。
どこかになにかがあったかも知れないが、しかし思い出せない・・・・・・というのは、私個人としてはギリギリ不愉快になる。この何かが解決しそうな揺らぎは、たしかにカタルシスに繋がりそうではある。
だが、それをしっかりメモし、覚え、それをずっと片隅に置いたまま新天地の探索やボス戦は、なかなかにしんどいものがある。それをシステムが肩代わりしてくれることは、果たして虚無なのか?
手がかりが何もなければ、探索の中心は地形を読むことから、自分の記憶を疑うことへ移る。どの部屋をどこまで調べたか、以前は能力不足で進めなかった場所がどこにあったかを覚え、全マップを往復することになる。見つからなければ、そもそもそこに何かあるのかさえ分からない。
本作のマップは、このうち後者を肩代わりする。アイテムそのものを見つけてくれるのではなく、探索すべき問題がまだ残っている場所を記録してくれるのだ。
したがって、本作は探索を自動化しているわけではない。自動化しているのは、探索状況の管理だ。プレイヤーは答えを教えられないまま、答えのある問題に集中できる。これが余計なお世話とは、私には思えない。
「難しいのに簡単」という変な感覚
こうやって戦闘と探索を並べると、エンダーリリーズが何を残し、何を省いているのかが見えてくる。
戦闘では、敵の動きを学び、状況を判断し、自分で操作し、失敗を修正する。この部分はプレイヤーが担当する。探索でも、どこから入るか、どの能力を使うか、目標の場所へどう到達するかは、自分で考えなければならない。
一方、ゲーム側は、どこまで進んだかを記録し、未回収の場所を示し、休息地点からの移動や再挑戦を短くする。装備の変更や強化も休息地点へ集約され、既知の情報はシステムに保持される。
この役割分担をまとめるなら、ゲームとして面白い認知負荷はプレイヤーに残し、ゲームを管理するための認知負荷はシステムが担う、となる。
ここに、親切と過保護の違いがある。
何もかも表示し、進む場所もアイテムの位置も示してしまえば、探索は答えをなぞる作業になりかねない。しかし、進行状況をまったく記録しなければ、今度はプレイヤー自身がメモや記憶によってゲームを管理しなければならない。
本作は、答えそのものではなく、考えるための前提を整理する。ボスを弱くするのではなく、すぐ再戦できるようにする。隠し場所を明かすのではなく、未解決の部屋を示す。ゲーム性の中核へ介入せず、その中核に戻るまでの負担を引き受けている。
ここまで来ると、難易度が残っているのにプレイ体験が軽いという、最初の矛盾へ戻れる。
攻撃を避けなければ死ぬ。敵のパターンを覚える必要があり、適切に操作しなければならない。レベルを上げるだけで、すべての戦闘が自動的に解決するわけでもない。
それでも遊びやすいのは、失敗そのものとは別の場所でストレスを積み重ねにくいからではないか。
難しいゲームであっても、リトライが速く、何に失敗したかが分かり、次の試行で改善を試せるなら続けやすい。即死する場面が多く、操作の要求水準は高かったとしても、再挑戦が速く、敵の配置を踏まえて手順を修正できるならさして苦痛でもない。
反対に、敵が弱くても、失敗するたびに長い道中を繰り返し、大きな損失を回収し、どこで間違えたのか分からないなら疲れる。要求される操作が易しいことと、遊び続けやすいことは同じではない。
つまり、難易度と遊びにくさは別軸なのだ。
だからこそこのゲームは、「◯◯は強かった。でも簡単だった」という、一見意味不明な感想が両立する。
戦闘はたしかに厳しく、骨太な敵が多数存在する。だから難しい。
しかし、それを邪魔するシステムがない。戦うというプレイヤーの仕事を集中して行えるように、ゲームが手助けしてくれる。だから簡単。
エンダーリリーズは、この2つを丁寧に分離している。戦闘や探索の要求水準は残しながら、失敗の周囲に生じる待ち時間、巻き戻し、記憶負担を抑える。その結果、攻略には手応えがあるのに、ゲーム全体は簡単だったかのような滑らかさを持つ。
それが、最後まで遊び切るという気持ちを後押しするのだ。

完走するに必要な推進力
とはいえ、ここまで挙げた仕組みだけで、実績獲得率の高さを説明し切ることはできない。
どれほど快適でも、続けたいと思える遊びがなければ、プレイヤーは前へ進まない。リトライが速いことは再挑戦を邪魔しないが、再挑戦したいという意欲までは生み出さない。未回収の部屋が分かっても、その先にあるものへ興味を持てなければ探索は続かない。
ではここで、前述した「プレイヤーがそこまでやる理由付けが存在するかどうか」という部分について考えてみよう。
エンダーリリーズには、そもそもの推進力がある。
まず、断片的に語られる物語だ。
白巫女や穢者たちに何が起きたのかが少しずつ示されることで、「これは何なのだろう」という疑問が次の探索を促す。物語が到達点として待っているというより、遊び始めたあとに続ける理由として機能する。
次に、穢者が戦闘を代行する仕組みだ。
主人公自身が武器を振るうのではなく、浄化した穢者たちがスタンドのように現れて攻撃する。主人公の運動性能を奪うのではなく、攻撃だけを他者に委ねるため、操作上の不自由さは少ない。それでいて、世界観と戦闘表現がひとつにつながっている。この独特さが、新しい穢者を得て試す動機にもなった。
新能力によって行ける場所が増えること、操作していて気持ちよく動けること、未踏の場所を調べることにも、それぞれ固有の面白さがある。私自身、戦闘まで凡庸だと感じていたなら、便利なマップがあっても最後までは遊んでいない。
ただ、これらは単なる好印象のシステムの羅列だ。だからトロコンできる、という裏付けには弱い。
では、キモはなにか。
簡単でもトロコンされない作品との違い、プレイヤーが遊び切る最も大きな理由付けとは、つまり、「あともう少しの感覚の提供」にほかならない。
ビジュアルやBGMは、進めることをスムーズにさせる要素にはなり得る。しかし、それらはトロコンへは導かない。これらで歩かせ、その軌跡の満足感をじゅうぶんに満たし、その残りがもう少しに見えることで、トロコンへと誘う。
どれかだけでは成り立たない。歩かせる要素と、歩き続けたくなる要素と、最後まで歩き切る要素の3つが重なり、トロコン率の高さを帰結させる。
ここまでの要素は、同じ役割を持っているわけではない。
- 開始、継続の動機:物語、戦闘、探索、音楽など
- 継続を阻害しない仕組み:高速リトライ、デスペナなし、進捗管理
- 完走へ移行させる仕組み:「あと少し」に見える残距離
物語や戦闘の魅力は「先へ進みたい」を生む。
快適なリトライや探索管理は「やめたい」を減らす。
そして、クリア時点で残りが少なく見えることが「ここまで来たなら終わらせたい」を生む。
本作の完走しやすさは、この3つを分けて考えた方が分かりやすい。
総じて、快適性そのものがプレイヤーを前へ運ぶわけではない。エンダーリリーズの完走しやすさは、これらがそろった結果として考えるべきなのだ。
最後まで遊ばせるために
ゲームを長く遊ばせようとするとき、コンテンツを増やすという発想は分かりやすい。マップを広げ、収集物を増やし、周回要素や高難度課題を加えれば、遊べる時間そのものは長くなるだろう。
しかし、遊べる時間が増えることと、最後まで遊びたくなることは同じではない。
ゴールが遠ざかるほど、途中で満足して離れる区切りも増える。ひとつひとつは小さな負担でも、死亡の罰、長い再移動、未回収場所の総当たり、個別の育成作業が重なれば、元の面白さは少しずつ摩耗していく。
エンダーリリーズは、際限なくボリュームを増やさない。実績のためだけの周回や高難度チャレンジを要求せず、死亡の罰を重くせず、探索に必要な不確実性も限定する。その一方で、戦闘で学ぶこと、未知の場所を探索すること、新しい能力を得て使い道を考えることは残している。
本作は、最後まで遊ばせるためにコンテンツを増やしたゲームというより、途中で嫌になる理由を増やさなかったゲームなのだと思う。
それだけが高い実績獲得率の原因だと証明することはできない。作品の規模、購入したプレイヤー層、実績条件の設定など、ほかの要因もある。それでも、私が「全実績を取ろう」と決意する前から、その多くが自然に進んでいたという体験は、本作の設計とよく対応している。
繰り返すが、本作が最後まで遊ばれやすいのは、単に「簡単だから」という理由のみではない。プレイヤーが楽しむために必要な困難を残しながら、その困難へ挑戦するうえで必要のない摩擦を取り除いているからだ。
困難は残す。しかし、不愉快は取り除く。
「最後まで遊んでもらう」という姿勢を、言葉ではなくシステムで示したゲーム。それが、私にとってのエンダーリリーズだ。
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