大学に「なんとなく行く」のは正解か:進学という超高額ガチャの活用法を考える

高校生の頃、先生に「大学なんか行ってもしょうがない」と言われたことがある。

その立場でそんな事言うなよ、と当時は思ったものだが、今となっては共感(理解)してしまう。少なくとも「大学に行けばなんとかなる」なんて言わないのは、誠実な姿勢だったなとすら思うのだ。

大学に行けば就職できる。大学に行けばやりたいことが見つかる。少なくとも高卒よりは選択肢が増えるのだから、とりあえず進学しておけばいい。

大学進学には、未だこのような安心感がまとわりついている。

高校を卒業したあとに何をすればいいのかわからなくても、ひとまず大学に入れば4年間の猶予ができるだとか、そのあいだに何かを見つければいいだとか。卒業時には新卒という肩書を使って就職できるし、進路が決まっていない人ほど大学に行けと、そう言われる。

しかし、これは本当だろうか。

まず、大学に入っても就職が保証されるわけではない。2025年3月卒業者のうち、「進学でも就職でもないことが明らかな者」は42120人、卒業者の約7.2%だ。最新の雇用環境が比較的良好な時期であっても、大卒者の約14人に1人は、卒業時点で就職にも進学にも移行していない。

また、入学した学部が自分に合うとも限らない。それゆえの留年や中退の可能性もあるだろう。文部科学省の最新調査では、2024年度に大学を中途退学した学生は5516人。大学生のおよそ50人に1人が中退している事実が確認できる。

もちろん、これらの数字だけで「目的なく進学した人は失敗する」とまでは言えない。ここで確認したいのは、大学進学そのものには就職や卒業を保証する力がないということだ。

では、なぜ目的のない進学が危ういのか。

それは、大学が提供する授業、設備、制度、学生身分が、利用者の行動なしに成果へ変わるものではないからだ。進学だけを決め、何を得るかを決めなければ、4年間の結果は履修、周囲の環境、偶然の出会いに左右されやすくなる。

つまり、待ちには大してリターンが少なく、一方でリスクやコストがかさむ。

お金の問題はシビアだ。学費だけでなく、生活費もかかる。貸与型の奨学金を使えば、卒業後には返還が始まる。厳しい就職を乗り越えたのに、そこから借金返済がスタートする人は珍しくもない。

それだけの費用と時間を払っても、大学に通うだけで何かが自動的に身につくわけではない。講義を受け、単位を取り、卒業証書を受け取る。その一連の過程をこなした結果、4年前とは別人になっている保証などないのだ。

さて、私は何も「大学なんて無駄だ、行くな」なんて無責任なことを言うつもりはない。今も大学には価値がある。

ただ、なんとなく行くなら無駄になる可能性が高い、という現実を示したいだけだ。

私自身、大学には行った。しかし、そこで学問を修めたという実感はない。人脈も皆無。学歴というパスポートを使ってそれなりのところに就職した。しかし、結果は1年で退職。今振り返ると、無駄だったなと結構思う。

一方で、大学生という立場を利用して学んだことはある。ここで言いたいのは、大学生活そのものが無駄だったのではなく、もっと効率的にやれたなというリソース効率の反省についてだ。

この2つは似ているようで違う。大学が育ててくれるのではなく、大学を自分なりに利用する・・・・・・ここに、主体性の差による違いが発生する。

大学は、通えば人生をどうにかしてくれる場所ではない。自分から使わなければ何も起きない、多額の費用を払う場所だ。そのため、目的のない大学進学は「とりあえず選んでおけば安全」と呼べるほど軽い選択ではない。

じゃあ、どうすれば効果的に活用できるのか。

本記事ではこの疑問に答えるべく、「大学をインフラとして使い倒す」ことについてまとめようと思う。大学をやや高めのサブスクと見なし、効率的に使う。その知見を共有したい。

大学進学は高額ガチャ

まずそもそも、大学にかかるお金を整理しよう。

大学進学、および通学にかかる金額は大きい。

文部科学省の調査によれば、2025年度の私立大学における初年度学生納付金等の平均は約151万円だ。また、日本学生支援機構の2024年度調査では、大学学部昼間部の学生生活費は、学費と生活費を合わせて年間平均約202万円だった。

これを単純に4倍すれば約808万円。進学先や住居、学部、生活条件によっては4年間で1000万円規模に達しても不思議ではない。

もちろん、これは全員が1000万円を払うという話ではない。国公立か私立か、自宅通学か一人暮らしかによって負担は大きく変わる。重要なのは、いずれにせよ大学進学は家計にとって巨大な支出になり得るということだ。

さらに、大学で賭けるものは金だけではない。もっと重いのは、18歳から22歳前後までの4年という時間だ。

誰もが耳タコで聞く言葉に「時間は貴重だ。若さは価値だ」というものがある。これは事実だが、悲しいかな、理解するのはいつだって自分がそれを言う立場になったときだ。

私もこれを高校生の頃聞いた。しかし真面目には受け取らなかった。時間の価値を理解していなかったのだ。だからこそ、かつてのおじさんのように、私は今こう言う。「時間は大切だ」と。

この時期には、さまざまなことを試せる。

  • 作品を作る
  • 発信する
  • 仕事を取ろうとして失敗する
  • 小さく商売を始める
  • 技術を覚える
  • 向いていないことを知る
  • やり直す

20歳の失敗と、40歳の失敗はまるで意味が異なる。そして、挑戦する際のハードルも違う。失敗が失敗だとみなされず、次に活かされるのは若者の特権だ。だから、若さは価値であり、時間は貴重なのだ。

さて、目的を持って大学に通うなら、大学生活とこれらの試行は両立できる。事実、有意義な大学生活というのは、えてして挑戦の質を指すものだ。

問題は、「大学に入ったから」という理由だけで安心し、4年間を大学に預けてしまうことだ。その場合、卒業時に得られるものが学歴だけか、またはそれ以外も含めたものなのかは、ほとんど偶然任せになる。

ここでいう「高額ガチャ」とは、大学そのものが無価値だという意味ではない。何を得るために通うのかを決めないまま、金と時間を投入するから、リターンが運次第になるという意味だ。

確かに、目的のない進学でも、卒業できれば大卒資格自体は残るだろう。しかし、そもそも卒業できるのか、ということもある。あるいは、その学歴が希望する進路で機能するのか、投入した費用と時間に見合うのかは設計不明瞭だ。

何を成果とするかを決めず、大学選びと在学中の行動も決めない。その状態で4年間を投入するから、結果の価値が偶然に左右される。高額ガチャとは、その状態を指している。

大学進学で投入する学費、生活費、奨学金リスク、18〜22歳の時間を整理した図解

そもそも、大学で失い得る最も貴重なものはお金だけではない。その4年間に回せたはずの試行回数なのだ。

4年と1000万を使って、何も得られませんでした。あるいは、しょうもないリターンだけでした。行っても行かなくても大して差はありませんでした。

それを避けるために書かれたのが、この記事だ。

大学に行く目的はなにか

では、大学に行くことにはどのような目的があり得るのか。どういう姿勢なら無駄にならないのだろうか。

ここでは便宜上、大学の使い方を2つの方向に分ける。

1つは、学歴、学位、資格、専門性のように、既存の組織や市場で評価される証明を得る使い方。もう1つは、時間、設備、制度、学生身分を利用し、自分で成果や仕事を作る基盤にする使い方だ。

ひとまず、ここでは前者を「所属するための大学」、後者を「独立するための大学」と考える。本記事でメインに語るのは後者だ。

ただし、これは卒業後の進路を二択に分けるものではない。

研究を続ける人もいれば、資格職を目指す人もいる。就職してから独立する人もいるし、独立を試みたあとで就職する人もいる。そのため、進路を漏れなく分類するためではなく、大学から何を得るのかを考えるための軸と扱う。

大学の使い方を「所属するための大学」と「独立するための大学」に分けて比較した図解

さて、どちらも大学を使って将来の有利を取りに行く点では同じだ。違うのは、どの市場で、どのような有利を取るかという点。

ただいずれにせよ、どちらも選ばないことが危険なのは間違いない。

学歴としての価値を吟味せず、インフラとして使う計画もなく、ただ「大学生になる」ことだけを目的に進学する。その状態では、所属にも独立にもつながらないまま、4年間が終わる可能性がある。

簡単な話だ。4年と1000万というリソースを用いて、学歴を得るのか、それとも経験を得るのか(あるいは両方)という話。前者ならいわゆる高学歴の大学に行く必要があり、後者を求めるなら後述する方法が有効になる。

だからまず、大学進学の理由や意図を説明できるかどうか、これが最初の分水嶺と言える。

間違っててもいい、ズレててもいい。「とりあえず行く」というのが理由で、4年と1000万を使う選択をしないかどうかが重要だ。

「大学には行くことに価値があり、そこで得られる経験にはかけがえのないものがある」という意見もあるだろう。これはそのとおりだ。しかし、可能性とリソース問題で考えると、怪しい。

というのも、「起きるかもしれない」・・・・・・そんなものに4年と1000万を使えるのか?

ならば、「かなり高い確率で起きる」ことに使ったほうが有意義ではないか?

4年と1000万円規模の資源があれば、なんなら大学以外にも多くの使い道がある。技能習得、留学、制作、起業準備、資格取得、生活費を抑えながらの試行錯誤など、相当数の挑戦が可能だろう。

だからこそ、大学進学は「ほかにやることがないから」という理由ではなく、それらの選択肢と比べても大学に投入する価値があるかを考える必要がある。

もったいない・・・・・・この気持ちをベースに、リソースを何に使うべきかを考える。その場合、はたして大学に行く理由はあるのだろうか?

学歴パスポートとしての大学

ここまでの論調だとまるで大学進学否定派のように見えるかもしれないが、まったくそんなことはない。

私は、大学名や専門性に明確な価値があるなら進学は今でも有効だと思っている。何度も否定しているのは「とりあえず行く」という曖昧な姿勢だ。

応募資格として特定の学位や課程が必要な仕事もある。資格取得や専門職への入口として、大学や学部の選択がそのまま進路につながる場合もある。研究したい分野と指導を受けたい教員が明確なら、大学でなければ得にくい環境もあるだろう。

また、就職市場では、応募者のすべてを最初から詳しく見てもらえるとは限らない。大学名、学部、資格、制作物、職歴といった、短時間で確認できる情報が入口の判断材料になる。その市場で戦うなら、学歴が持つ識別力を無視する理由はない。

現代社会において、就活における学歴の強さは未だ健在だ。学歴だけで受かることはないが、しかし大幅な有利を取れるのは間違いない。

ゆえに、学歴というパスポートを求めて4年と1000万を使うのは良いだろう。旧帝などだったらむしろ割安とまで思うぐらいだ。

ただ、学歴を目的にするなら、「大学を出ること」ではなく、その大学名や専門性が、自分の入りたい場所で実際に機能するかを調べる必要がある。

「とりあえず文学部」「潰しが効きそうだから経済学部」といった選び方が危ういのは、それらに価値がないからではない。何を学ぶのかも、その学歴をどこで使うのかも決めず、学歴らしきものだけを買おうとしているからだ。

学歴を買うなら、学歴として機能するものを買うべきだ。

たとえば地方国公立は地元企業への就職が非常に強い。あるいは、特定の大学はその学閥が存在する企業において有利に働くことがある。これらを加味し、大学に行って学歴をもらうのはとても効率的だろう。

学歴の価値は一律ではない。採用市場、職種、地域、資格要件によって機能の仕方が変わる。

したがって、学歴を目的に進学するなら、単に偏差値を見るのではなく、その大学や学部が、自分の希望する進路の入口で実際に評価されているかを確認する必要がある。

学歴は採用を保証するものではないが、応募可能性や書類選考、初期評価に影響するシグナルにはなり得るのだ。

そこを考慮せずとりあえずで行くと、高い金を払って何にもならないものを得ることになる。あるいは、何も得られず中退というシナリオもありえる。

ではここで次に考えたいのが、リターンを実物として得るわけではない、大学の利用方法だ。これが本記事のメインの主張となる。

大学をインフラとして使う

現在、そうでもない大学になんとなく入ってしまった人、というのは少なくないだろう。

では、彼らはもう詰んでいるのかといえば、全然そんなことはない。それならそれでやりようがある。

そもそも、大学のブランドが強くなかったとしても、それだけで大学の価値がなくなるわけではない。評価軸を学歴からインフラへ移せば、見え方は変わる。

以下で述べる「大学をインフラとして使う方法」は、独立準備だけではない。資格取得、研究、創作、留学、就職に向けた実績作りなど、目的によって使い方は変わる。

まず、「大学という組織に所属しているのはかなり強い」という認識を持ってみる。なにせ大学には授業以外にも資源がある。図書館、学食、学割、設備、学生向け制度などだ。

特に強いのは図書館だ。大量の本に触れられ、所蔵されていない本も取り寄せられる。自分で買えば費用も保管場所も必要になる資料へ継続的にアクセスできる。

実をいうと私はほぼ講義に出ず、そもそも大学に行ってすらいないカスだった。1年目での獲得単位は4で、ゴールデンウィークの時点ですでに出席していなかったぐらいだ。

しかし、そんな私でも使っていたのが図書館だった。朝から晩まで入り浸り、ありとあらゆる本を年間2000冊ほど読んでいた。大学を使い倒す、という名目での暇つぶしだ。講義の内容は1ミリも覚えていないが、当時読んだ本は割と覚えている。

また、貧乏学生だった私にとって本当にありがたかったのが学食だ。食費と栄養という避け得ない問題を完全外注できるのは大きい。定食に好きな小鉢で500円弱という破格のサービスはビビる。

大学を4年間のインフラとして捉え、図書館、学食、学割、設備、学生身分などの資源を整理した図解

さて、そんな中で一番強力なのは「大学生という身分そのもの」だ。

学割というのはソフトウェアやサービス、交通、コンテンツへのアクセス費用を下げる。設備や制度の内容は大学、製品ごとに異なるが、使えるものを事前に調べれば、4年間の活動基盤として評価できる。

たとえばAdobe Creative Cloud。これは初年度を単純比較すると差額は約85000円にもなる。

通常のCreative Cloud Proは月額9080円だが、学生や教職員版は初年度に大幅な割引があり、キャンペーンでは最初の3か月が月額980円にもなる。これは学生であれば利用可能であり、まさしく特権だ。

Amazon Prime Studentも大きい。

これはそもそも安い通常のAmazon Primeからさらに半額の、月額300円または年額2950円で利用可能。さらに無料体験期間が6か月もある。サービス内容もかなり多岐にわたり、月300円のコスパではない。

・・・・・・というように、まるでアフィリエイトみたいなノリになってしまったが、要は学生という身分なだけで得られるものは実に多いということだ。特殊な技能や条件はなく、学生であるだけでお得に使える。ならば、使わない手はないだろう。

学歴として使うなら、大学の偏差値は重要になる。しかし、インフラとして使うなら見るべきものは変わる。この場合のポイントは偏差値ではなく、学費、立地、図書館、学食、設備、制度、時間割の自由度、そして自分の時間をどれだけ確保できるかだ。

この見方に立てば、偏差値の低い大学も、学歴として弱いという一面だけでは評価できなくなる。

安く、近く、自由度が高く、使える設備が揃っているなら、活動拠点としては条件がいいかもしれない。大学の価値はひとつではない。何に使うかによって、大学の評価は反転するのだ。

Fラン特待生という制度ハック

大学の価値を問い直し、効率的に使い倒す・・・・・・その具体例が、いわゆる「Fラン大学の特待生」だ。

この方法は、学歴ブランドより費用の低さと時間の自由度を優先し、在学中に独立可能な技能と実績を作るケースだ。大学活用の唯一の正解ではなく、条件の合う人に限って成立する特殊な一例として読んでほしい。

まず、ここでいうFランとは特定の大学を侮辱するための呼称ではない。入学難易度や学歴ブランドが相対的に低いと見なされている大学を指す、俗なカテゴリーとして用いている。定義が一定ではない、その雑さを前提にしておきたい。

さて、学歴ブランドを取りに行くなら、この選択は弱い。わざわざ4年と1000万を使って低レベルの大学に行くべきではない・・・・・・これは正論だ。

しかし、最初からブランドを期待せず、大学をインフラとして使うならどうだろうか。

実は、大学によっては、入試成績などを条件に授業料を減免する特待生制度がある。減免額、採用人数、継続条件は大学ごとに違うため、個別の確認が必要だが、条件が合えば進学費用を大きく下げられる可能性があるのだ。

たとえば城西大学。こちらは一般選抜S、A日程の成績上位者の授業料を最長4年(薬学科は6年)全額減免する。

あるいは国士舘大学。対象入試で総得点80%以上かつ上位50人の入学金、授業料、施設設備費等を原則4年間免除する。

こんな感じに、他にも探せば割とあり、決して特殊な制度とは言いにくい。Fラン特待生という方策は、これを利用するのを主軸に考える。

つまり、一般入試でより難しい大学を目指せる学力を、学費の減免に変える。学歴目的ではなく、格安のサブスクとして大学を扱うのだ。

これは、世間体よりも利用条件を優先する選択だ。大学名ではなく、安く確保できる4年間の活動拠点を買う。その意味で、制度ハックと呼べる。

ただし、誰にでも薦められる裏技ではない。

まず、そもそもとして特待生になれる学力が必要だ。また、入学時だけでなく成績などの継続条件があるなら、それを維持しなければならない。つまり、それなりの学力、学習意欲は大前提となる。

さらに、大学名による就職上の有利は期待しにくいため、有名企業を含む組織就職を広く残したい人には不向きだ。たとえば大手製薬会社など、学歴を前提とする企業への就職は非常に厳しいだろう。

もちろん、特定の大学名だけから「有名企業には入れない」とまでは断定できない。ただ、ここで捨てるのは就職そのものではなく、学歴ブランドが強く補助してくれるという期待だ。

そして一番大きいのは、自立した毎日を4年間送ることができるか、だ。

この方法の都合上、基本的に自分で学び、自分で動けなければならない。インフラである以上、自発的に考え、行動するという姿勢を伴わないなら、それは活かせないのだ。

大学を遊び場ではなく作業場として使い、4年間を挑戦と改善に回す必要がある。親や周囲から「なぜもっと上の大学に行かないのか」「こうしたほうがいいぞ」と言われても、自分の目的を説明し、世間体より計画を優先しなければならない。

勝ち筋はある。ただし、本人が動かなければ普通に終わる。

ゆえにFラン特待生は、自立自活できる人間だけ可能な、特殊な進学方式だ。

Fラン特待生ルートの成立条件として、学力、継続条件、自主性、挑戦量などを整理したチェックリスト

また、これが有効なのは、単に授業料が安い場合ではない。大学へ行かずに独学する場合や、働きながら技能を得る場合と比べて、学生身分、設備、図書館、自由時間、大卒資格の保険に価値がある場合に限られる。

反対に、通学に時間がかかる、特待維持の負担が重い、大学の設備を使わない、生活費が増えるといった条件なら、大学へ行かないほうが効率的な可能性もある。

これは大学進学を是とする方法論ではなく、学費を免除されつつ、しかし大学生という身分をフルに使える、ということにメリットがあるのだ。ゆえに、誰しもがこうすべきという画一的なモデルではない。

4年間で積み上げるべきもの

では以降、Fラン特待生としての身の振り方を説明していく。何をすればいいのか、どうするのか、という内容。

このやり方だと、一般的な大学生とは成果の形が大きく変わる。普通は単位がべースで、必修を落とさないとかが大きな目標だ。しかし、大学をインフラとして使うなら、成績優秀なのは前提に、卒業後にも残るものを育む必要がある。

この場合、積み上げるべきものの例としては、ポートフォリオ、案件実績、自分のプラットフォームだ。

イラスト、動画、文章、デザイン、プログラム・・・・・・分野は何でもいいが、何かを構築する技能が必要になる。そして技能だけでなく、それを外部にアピールできる場所も必須。それゆえのラインナップだ。

技能だけでは仕事にはならない。作ったものを公開し、必要とする人へ届け、依頼を受け、条件を調整し、対価を受け取るところまで成立させる必要があるのだ。

すると、この条件だと、4年間を「1年目は勉強、2年目は練習、3年目に作品を作り、4年目で案件を取る」と分けるべきではない。

1年目から作り、1年目から出し、1年目から失敗し、1年目から改善し、1年目から案件を取りに行く・・・・・・この姿勢が求められる。

案件獲得は、4年目に受ける卒業試験ではない。1年目から回し続ける実験だ。作って、出して、断られて、直して、また出す。この試行回数を増やすために、大学というインフラを使う。

Fラン特待生という身分に、なんとなく遊び呆けるモラトリアム期間は無いのだ。

まずもって4年後に強制的に独立せざるを得ない環境(というより契約)でスタートする。学歴ブランドを使った就職を主な勝ち筋にしない以上、入学時点から独立可能な成果を作る前提で動く必要がある。

この、ある意味で道が閉ざされているというのが特徴であり、そして行動が促進される要素でもある。もちろん、だからこそ合わない人もいる人生設計とも言えるが。

最初から大きな仕事を取る必要はない。むしろ、実績がない段階で断られるのは当然だ。そうではなく、失敗前提での試行回数を積むことが重要になる。

小さな制作、短い発信、知人からの依頼、自主企画など、試せる単位まで小さくし、何度も回す。技能の習得と仕事の獲得を分離せず、作りながら売り方を学び、売ろうとしながら不足している技能を知る。

Fラン特待生の強みは、一般的大学生よりリソースに余裕があるという部分だ。だからこそそれを挑戦と改善にフルベットする。4年と1000万をなるべく試行錯誤に費やすのだ。

となると、自分の発信媒体も必要になる。SNSだけに依存せず、自分の作品、考え、実績を蓄積し、あとから見つけてもらえる場所を持つ。そこで重要なのは、単に有名になることではない。自分が何を作れる人間なのかを、他人が確認できる状態にしておくことだ。

これもまた時間が必要になる。だから、自分のウェブサイトを持つ場合も、公開直前に作るのではなく、在学中から作品や実績を蓄積しておく。そうすれば、卒業時には他人が活動履歴を確認できる状態になる。

ただ、ここで想定しているのは、文章、デザイン、動画、イラスト、プログラムなど、比較的小さな初期費用で始められ、制作物を公開して案件につなげられる分野だ。

分野が違えば積み上げるものも変わる。独立と一口に言っても様々な形式がある以上、準備の方法も千差万別だ。

ただし共通するのは、外部に示せる成果、顧客との接点、対価を得る実験、改善の履歴を在学中から作ること。これは揺らがない。

つまるところ、Fラン特待生のモットーは「前倒しの準備」だ。

特待生として入ったから余裕がある、のではなく、得た時間やリソースを他に先に使い込む。4年自由にできるというのは遊べるということでなく、ここで成果をあげないと終了時点では大いに困ることになってしまう、契約でもある。

これはこれで過酷だ。だからこそ、誰もにおすすめできる方策ではない。

このルートが向いていない人

では、この人生設計はどういう人に向いているのだろうか。

  • 強制されなければ動けない人
  • 決められた道から外れることに強い不安を感じる人
  • 失敗を改善材料として扱えない人

こういった気質には向いていない。世間体を捨てられない人や、学歴を使って有名企業へ入る可能性をできるだけ高く残したい人も、別の大学選びをしたほうがいい。

最大の失敗パターンは単純だ。

何もしない。何も起きない。何も得られない。

自由は、それ自体では成果にならない。管理されない時間が増えるほど、自分で目的を決め、試し、失敗を分析し、次の行動へつなげる力が必要になる。ここを「授業が楽で、学費も安く、4年間遊べる」と解釈すれば、卒業時には弱い学歴と空白の実績だけが残る。

つまり、選択の責任を毎日自分に問えるかどうか、というのが基準になる。そもそも独立できるかどうかも怪しい状態で、しかしできるという根拠なき自信を持って毎日悪戦苦闘する・・・・・・これが大前提だ。

必ずしも報われないかもしれないという可能性を抱きつつも、改善や行動を止めない。これができるなら正直、どこに行ったって成功するだろうが、それを最も効率的に行えるのがFラン特待生という身分になる。

ちなみに、Fラン卒業生という肩書は弱いが、絶望的ということでもない。

一応、大卒という肩書は残るので、新卒採用へ応募できる可能性は消えない。しかし、それは最低限の保険であって、このルートの勝ち筋ではない。最低限の保証みたいなものだ。

もともと大学名による有利を手放す代わりに4年間の自由度と試行回数を取りに行くのだから、成果は自分で作らなければならない。ここに、背水の陣のような構造がある。

犠牲を払ってまで、この自由を引き受けられるか。

そこに迷いがあるなら、この方法を「裏技らしい」という理由だけで選ぶべきではない。

成功が保証されないのは就職も同じ

ここまでの話に対して、「そんな進路は怖い。成功する保証がないなんて不安」という反論は当然あるだろう。

その通りだ。

特待生制度を使って大学へ入り、4年間で技能と実績を作ったとしても、独立できるとは限らない。案件が継続する保証も、十分な収入を得られる保証もない。常に自分で動き続けなければ、何も残らずに終わる。このルートには明確な危険がある。

しかし逆に、普通に大学へ行き、普通に就職するルートには成功保証があるのだろうか。

ここで言いたいのは独立と就職の危険度が同じだと言うことではない。両者ではリスクの種類も、収入の安定性も、支援制度も異なる。

比較したいのは、「独立だけが不確実で、就職を選べば結果まで保証される」という見方だ。就職には就職なりに、採用、配属、職場との適合、継続、転職という不確実性がある。

そもそも希望する会社に入れるとは限らない。入社できても、仕事や組織が自分に合うとは限らない。働き続けられるとも、望んだ生活が得られるとも限らない。進学の途中には留年や中退があり、卒業後には奨学金の返還や就職のミスマッチもあり得る。

事実、新卒大卒者の約3人に1人は、最初の会社を3年以内に離れているというデータもある。企業規模によっては半数以上が3年位内に離職するなんてこともあるわけだ。

では、それは零細だからなのだろうか。しかし、1000人以上の企業でも離職率は27%もあり、大企業に入ればほぼ全員が定着するわけでもないのが察せられる。

私はこれを、「だから就職なんてしないほうがいいよ」なんて言う根拠にするつもりはない。今だって定年まで駆け抜けられるぐらいの地盤をもった人々は大勢いるだろう。データはあくまでデータだ。

そうではなく、「独立が不安定で就職は安定」というのはあまりにも嘘すぎる、ということを言いたいのだ。

離職者全員が無職になるわけではない。よりよい会社への転職もあるだろう。しかしそれは同時に、「大卒で正社員になれば、そのまま安定した生活が成立する」という1本道が存在しないことも示している。

大学が提供するのは、安定そのものではなく、就職市場に参加する際の有利な条件の1つにすぎない。

もちろん、「普通の就職も危険なのだから独立を選ぶべきだ」とはならないのは前述したとおりだ。組織で働くほうが合う人もいれば、制度や教育が整った企業でこそ能力を発揮できる人もいる。独立の不確実性と、組織に所属する不確実性は、同じ種類でも同じ大きさでもない。

ここで比較すべきなのは、片方の失敗と、もう片方の成功ではない。両方が失敗し得ることを認めたうえで、自分にとってどちらのリスクが重く、どちらなら対処できるかだ。

このルートに(というかすべてのルートで)成功保証はない。Fラン特待生も、普通に大学へ行って普通に就職する人生も、本質は同じだ。形が違うだけで、どちらも不確実な未来に賭けているに過ぎない。

ならば問題は、どちらが絶対に安全かではない。どちらの不確実性なら自分で引き受けられるかだ。

私は、大学に行くなと言いたいわけではない。Fラン大学の特待生になれと言いたいわけでもない。

ただ、大学進学を一度は疑うべきだと思っている。そのための方法論のひとつが、F ラン特待生ということだ。

大学は入れば人生が好転する装置ではない。誰かが作った制度であり、目的に応じて使う道具だ。

学歴パスポートとして買うなら、その肩書や専門性が、自分の行きたい場所で機能するかを調べる。4年間のインフラとして使うなら、費用、立地、設備、制度、自由度を調べ、その環境で何を積み上げるかを決める。

どちらを選んでもいい。途中で切り替えてもいい。大学へ行かない選択もあるだろう。

やりたいならやればいい。やらないなら、それでもいい。自分の人生なのだから。

ただし、大学に行けばなんとなくどうにかなるという物語をそのまま信じるには、リスクが高すぎるのは間違いない。

参考文献


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