【雀魂】4万円課金して分かった、「麻雀ができる」と「続けたくなる」の違い

ここ最近、雀魂にお熱だ。4万円ほど課金するぐらいにはハマっている。

雀魂では、課金しても麻雀が強くなるわけではない。レアキャラを使ったからといって配牌がよくなることはなく、着せ替えを買っても放銃率は下がらない。リーチ棒や和了演出を変えても、勝敗には一切影響しない。

それでも、私はそれなりに課金した。

友人には「その課金って意味あるの?」と言われた。妥当な質問ではある。余計なお世話だ、とも思うが。まあ実際、見た目が変わるだけなのに4万円とは、かなり割高だろう。

ただ、そんな強さに関係しないものへ、なぜそこまで払ったのかはちゃんと説明できる。

麻雀が面白かったから続けた。雀魂が快適だったから定着した。そして、長く使う場所になったから、自分好みの見た目に整えた。これだけだ。

勝利に関係しないものへ多額の投資を行う・・・・・・この気持ちについて、本記事では実体験を持って紹介したいと思う。

さて、課金の話を考える前に、まずは麻雀と雀魂を分けなければならない。

というのも、私がハマったのは麻雀そのものであり、住み着いたのは雀魂という環境だったのだ。

麻雀の醍醐味と面白さ

私が課金するまでには、3つの段階があった。

  • 麻雀そのものが面白かった
  • その麻雀を続ける場所として雀魂が快適だった
  • 毎日戻る場所になったからこそ、その場所を自分好みに整えたくなった

以下では、この3段階を順番に説明する。

まずは「なぜそんなにハマったのか」という点を語る。いわば、私が麻雀をどう捉えているのか、ということだ。

あえて強く言わせてもらうが、私は麻雀を運ゲーのクソゲーだと思っている。

このゲームはとにかく運の影響が大きい。

どれだけ正しく打っても、配牌が悪ければ何もできないことがある。先にリーチしても追いかけられて負けることはあるし、危険を避け続けても、他家同士の大きな和了で順位を落とすこともある。

かと思えば、最初の時点でほぼ揃っていてそのまま2巡目で大三元なんてこともできる。これらの差は、基本的には運によるものが大きい。すべてが運ではない。しかし、ファクターとしてはデカい。

ただ、全部が全部運で説明できるわけじゃない。この気付きが、麻雀への興味を大きくさせた。

以前の私は、麻雀をかなり強い運ゲーとして捉えていた。勝つときは牌がよかっただけで、負けるときは運が悪かっただけ。その程度の認識だ。

しかし、基本の基本からセオリーを学び始めると、この見方が少し変わる。

  • 牌効率を意識する
  • 不要な危険牌を残さない
  • 相手のリーチに対して押すべき手と降りるべき手を分ける
  • 点数状況や巡目によって同じ牌でも扱いを変える

こうした本当に当たり前のことを覚えて打つと、負け方が変わっていった。納得できる敗北が多数を占めるようになったのだ。

もちろん、勉強したからといって必ず勝てるわけではない。よい形で先制しても負けるし、無理をしていないのに最下位になる、ワケわからん待ちにやられることもある。

それでも、何もできないまま大敗する回数や、理由のない放銃は減っていった。勝てなかった対局でも、自分がどこまで介入できていたかを考えられるようになったのだ。

実際、プロと初心者の試合でも、少数で見れば初心者が勝つことは珍しくないらしい。しかし、連局すると明確に差が現れる。これはまさしく運ゲーに見せかけた実力ゲーの特徴だ。

短期では運のブレが大きいため、初心者でもプロに勝てる。しかし回数が増えると、プラスとマイナスの偶然がある程度相殺され、各人が持つ平均的な成績・・・・・・つまり期待値に近づいていく。プロは毎回勝つわけではなく、「長期的に少しずつ有利な選択を積み重ねる」ので、試行回数が増えるほど差が明確になるのだ。

つまり麻雀は「短期では運が勝敗を決めやすく、長期では実力が勝率や順位分布を決めやすいゲーム」とも言えるだろう。

少数の麻雀対局では運による成績の振れが大きく、多数の対局では実力差が現れやすくなることを示した概念図

座学でセオリーを学び、それを実戦で試したことで得た最も重要な実感は、運を消せるということではない。

運に対して、何もできないわけではないと分かったことだ。

配られた牌そのものは選べない。しかし、その牌をどう扱うかは選べる。悪い流れの中で損失を抑えることもできれば、よい機会を逃さず伸ばすこともできる。

麻雀は運ゲーのクソゲーだ。だが、それだけでは終わらない。

麻雀は運に介入できる。この「運に介入できる運ゲー」は、私が心から愛してやまない類のゲーム性、愛せるクソゲーだ。

ただし、これは「麻雀は運ゲーではない」という意味ではない。運の影響は現実に大きい。ただ、1局の勝敗と、何十局、何百局を通じた成績では、運と実力の現れ方が異なる。

知識や経験による介入が少しずつ上達として返ってくる・・・・・・これが、私にとっての麻雀の面白さ。そして、一気にハマったきっかけだった。

ただし、セオリーを覚えればすべて解決するわけではない。相手もまた、決められたとおりに動く駒ではないからだ。対人の面白さを、次章では語っていく。

人間の揺らぎという誤差

学んだセオリーは確かに役に立つ。知識が増えるほど、盤面は以前より読みやすくなった。

ただその一方で「人間は必ずしも合理的には打たない」という現実にブチ当たる。

たとえばこういう状況。

  • リーチなし
  • 染め手や七対子などの兆候もなし
  • すでに2枚捨てられた西を流す
  • 自風でも場風でもないやつがロン

これはもう「いや知らんがな」という事故だ。いーや想定しておかなければならないことだ、と言われても無茶苦茶すぎる。

もちろん、これそのものは可能性としてはありえる。しかし、「可能性を知っていた」「その局面で警戒すべきだった」「実際に回避するのが合理的だった」は別問題だ。ゆえに苦笑してしまう。

  • 降りるべき場面でも押してくる
  • 明らかに危険そうな牌を平然と切る
  • 効率よりも高い手への欲を優先する
  • こちらの想定から外れた形で待ち、思いもよらない牌で和了する

こういうのは少なくとも、一定の方針で動くCPUを相手にしたとき、予測外れは人間戦ほど強く感じられない。

しかし、人間は普通にやる。だから面白い。セオリーが通じないという外れ値、揺らぎが麻雀を面白くさせる。

そしてこの予測可能性と予測不能性の混在が、再戦したくなる理由になっているのだ。

CPU相手でも麻雀のルールは成立する。だが、一定の挙動をする相手だけでは、人間の欲や焦り、強気、勘違いまで含めた勝負にはならない。ワンチャンに賭けて意味不明な押しを見せる、それをやるのは人間ならではだ。

常に人間相手と打てることは、単なるオンライン機能ではない。それ自体が、麻雀の面白さを成立させる条件の1つだ。

麻雀は面白い。しかし厳密に言うと、その牌の先にいる人間と醜く点の取り合いをすることが面白いのだ。

もっとも、人間相手と打てさえすれば、どの麻雀ゲームにも毎日戻るわけではない。そこには、雀魂でないとならなかった明確な理由が存在する。

麻雀ができることと、麻雀を続けたくなることは別・・・・・・その話をしていきたい。

「麻雀ができるだけ」のゲーム

ここまで麻雀の面白さについて話したが、おそらくこんな疑問を抱くだろう。

「これは雀魂である必然性はあるのか?」

たしかにそうだ。麻雀のアプリやサービスなんてのはいくらでもあり、検索すれば大量に出てくる。ただ、私はこれまでに他のサービスをやったものの、ハマらなかった。雀魂だけが定住地になった。

では、それはなぜだろうか。もちろん、麻雀そのものに差はない。差異は、それを取り巻く環境だった。

最も大きな違いは、どこに予算(工数)を割いているのかということだ。つまり、ただ遊べるだけでいいのか、そのうえでリッチにしているのか、というところに差がある。

一般的な麻雀のフリーゲームといえば、画面は無機質で、UIには古さがあり、牌を切る感触も軽い。リーチを受けたときの圧や、和了したときの達成感も弱く、勝負の緊張が画面上では平板に処理される。全体的に早すぎるのもあるだろう。

ここで比較しているのは、すべての麻雀ゲームではない。無料で手軽に対局を成立させることを主目的とした、簡素な麻雀ゲームだ。

これは麻雀ゲームとして失格という話ではない。実際、ただ遊ぶだけなら何ら問題はない。しかし、私は納得できなかった。目的が違うのだ。

麻雀を成立させるだけなら、必要な機能はそれほど多くない。牌と卓が表示され、ルールどおりに進行し、対局相手がいればよい。それで麻雀を遊ぶための道具としては十分だ。

ただ、十分であることと、居着きたくなることは同じではない。

たとえば、ベッドだけが置かれた宿でも眠ることはできる。宿泊という機能は果たしているからだ。しかし、そこへ愛着を持ち、何度も戻り、自分の滞在先として選び続けるかは別の話となる。

雀魂が他のゲームと明確に違かったのは、そこに定住しようと思えるほどのUIやUXの質だった。泊まるための宿ではなく、そこに行きたくなる宿だったのだ。

画面の見やすさだけではなく、対戦相手の見つかりやすさ、戦績の蓄積、演出、キャラクターまで含めた、継続利用の環境全体が整っていた。

簡素な麻雀ゲームは、麻雀を成立させる道具だった。

そして雀魂は、麻雀を継続する場所だった。

この差は、麻雀のルールを変えたことで生まれたのではない。むしろ雀魂は、麻雀の中身へ余計なものを加えず、その周囲だけを整えている。

簡素な麻雀ゲームの画面と、ランク、戦績、演出、装飾を備えた現代的なオンライン麻雀環境を左右で比較した図

麻雀を邪魔せず、豊かさを増やす

雀魂の設計で重要なのは、麻雀そのものを改造していないことだと思う。

課金キャラクターごとの能力はなく、特殊な必殺技もない。特定の装飾を装備したから有利になることもない。対局の中心にあるのは、昔から続いている麻雀のルールだ。

それだけなら凡百のフリーゲームと大差ない。そこで差別化になるのが、対局へ入るまでと、対局中の認識と、対局後にもう一度戻るまでが丁寧に整えられていることだ。

まず、対戦相手が常にいるという人口問題。

対局ボタンを押せば、自動的に相手が見つかり、同じ程度のランク帯にいる人間との勝負が始まる。対局相手を自分で集める必要も、友人の予定に合わせる必要もない。

そもそも相手が常にいるというのはそれだけで偉大だ。しかしこれは人がいるから雀魂に集まるというより、定住しやすくなる要素によって、結果的に人が集まる構造になっているのだろう。

もちろん、人口が多い理由をUIやUXだけで説明することはできない。ただ、利用者が多いため対局しやすく、対局しやすいため定着しやすいという循環は、少なくとも利用者側から見て成立している。

そして、個人アカウントにはランクや戦績が蓄積する。これにより、1局ごとの勝敗がその場で消えるのではなく、自分の履歴へ接続され、前回より上へ行きたい、落ちた分を戻したいという理由が生まれる。

また、自分はどういうスタイルなんだろうという確認のログとしても機能する。1回こっきりではなく、自分の麻雀歴というのがスコアとして残るのは、積み重ねようという意識・・・・・・連局の意思を発生させるのだ。

さて、特筆したいのがUIやUX・・・・・・現代的な操作と視認性だ。

盤面は見やすく、動作は軽快で、何を選択しているのかが分かりやすい。面白いのが、動作(モーション)が最速ではないということだ。ここが実は雀魂のプレイ感における、地味な良い部分だと思う。

雀魂はプレイヤーの手が表示され、それが捨てたりなんだりというモーションを行う。これは、動作速度というものでいえば余剰だ。単に1局を最短時間で処理することだけを目的にするなら、牌が即座に移動するほうが効率的なのは間違いない。

雀魂で危険牌を選び、牌を卓に置くのを示した画像

しかし、あえて待たせる。

リーチ棒を置いたりアガリの時に叩きつける、このモーションがある種の気持ちよさを生んでいるのだ。私がフリーゲームをやった時の「早すぎる」という感覚は、睨み合っているあの感覚が除去されたことの抵抗感だった。

牌を出してから結果が示されるまでの、演出として設けられた短い間に、疑似的な読み合いの緊張が生まれる。これは通るのか、ロンなのか・・・・・・処理が早すぎる展開では、ここにスリルが付随しない。

ゆえに、あえてのディレイがボードゲーム特有の面白さを生んでいる。もちろん、ラグみたいな「不愉快な遅さ」は皆無だ。

音と演出が勝負の感情を強調し、リーチには圧があり、牌を切る音には手応えを生ませる。このゲームにおける余剰は、体験に全振りしているため、ロンした時の気持ちよさが段違いなのだ。

雀魂でロンしたときの画像

そこにあるのは処理ではなく、高揚。それを生んでいるのが、ある意味では邪魔とも言える演出。もう少し過剰なら鬱陶しくなる、その直前の調整が素晴らしい。

ただ、これらの演出は麻雀の面白さそのものを作っているわけではない。

雀魂の演出は、すでに麻雀の中にある緊張や達成感を増幅しているだけだ。邪魔をせず、よりよく見せる。まさしくUXの本懐。

危険牌を切るときに感じていた不安を、画面と音が支える。和了したときの安堵や興奮を、演出が分かりやすい形へ変換する。麻雀の外側から感情を作るのではなく、内側にある感情を受け取りやすくしている。

雀魂が独自にゲーム化した中心は、麻雀のルールそのものではない。対局へ入るまで、対局をどう感じるか、対局後にどう戻ってくるかという接続部分。麻雀そのものを改良せず、麻雀の前後を改良したのだ。

私が課金したのもここだ。その周辺体験の一部として、キャラクターやアクセサリーが配置されている。

キャラクター課金は無意味か?

繰り返すが、雀魂の課金要素は勝敗に一切影響しない。

だから、麻雀の本質だけを考えるなら、課金全般・・・・・・それこそ限定キャラクターなどは不要だ。初期キャラ、初期スキンとかで最高ランクまで行くのも問題ない・・・・・・というか、そういう人は割といる。

初期のままでも麻雀はできるし、ボイスや見た目を気にしなくても対局には困らない。キャラクターがいるから麻雀そのものが面白くなる、とまで言うつもりもない。

しかし、不要であることと、無意味であることは違う。

雀魂では、同じ卓を何度も見続ける。しかし、その画面にキャラクターがいることで、無機質な対局画面へ親しみが生まれる。対局中に過剰な干渉をせず、麻雀を邪魔しない範囲で、サービス全体に人格を与えている。スタンプなどによる相手との意思疎通も面白い。

キャラクターは麻雀の面白さを作らない。しかし、麻雀を続ける場所への愛着を作る。そして、愛着が生まれた場所には、自分らしさを加えたくなる。

私が最初に課金した理由は、勝ちたかったからではない。初期キャラクターのままではなく、自分が気に入ったキャラクターを使いたかったからだ。

課金には2つの意味があった。1つは、毎日見る画面を自分の好みに近づけること。もう1つは、同じキャラクターを使う人がいても、自分の組み合わせとして区別できる状態にすることだ。

せっかく毎日見るなら、自分の好みに合う見た目がよい。さらに、できれば他人とあまり重ならないキャラクターであってほしい。その条件に合う特定のキャラクターを求めて、ガチャを回した。

そして、目当てのキャラクターを手に入れた後は、着せ替えも購入した。というのも、どうしたってキャラそのものが被るのは避け得ないため、さらに分岐させたかったからだ。

キャラクターが他人と重なることはあっても、見た目まで同じにはしたくなかった。キャラクターを所有するだけではなく、自分が使う仕様へ変えたくなった。

また、ガチャのおまけで得た装飾品を組み合わせ、リーチ棒や卓上演出も整えた。こうもり、ゴースト、ダーク系の要素をまとめ、ひとつの世界観になるように揃えた。

ここまで来ると、もはや課金対象は単品のキャラクターや装飾ではない。毎日使う画面全体だ。

無料の状態でも麻雀はできる。初期キャラクターでも何も困らない。それでも、毎日見る場所だと分かったなら、少しでも自分の好みに近づけたくなる。

どうせ長く住むなら、良い部屋にしたい・・・・・・雀魂への課金は、私にとって強さを買う行為ではなく、部屋の内装を整える行為に近かった。

雀魂の初期状態と、キャラクター、着せ替え、ダーク系装飾で自分好みに整えた状態を比較した画像

いわゆる「課金したから続ける」というサンクコストとは逆を行く構図だ。課金したから遊び続けたのではなく、先に麻雀へハマり、ここを長く使う・・・・・・遊び続けると分かったから課金したのだ。

なぜ課金したのか。これについての答えは、「愛着」が最も適切なのかもしれない。

雀魂はもはや単なる麻雀アプリではなくなっていた。「自分が毎日戻る場所」になっていたのだ。

雀魂が売っているのは「居場所」

ここでいう「居場所」は、必ずしもユーザー同士の交流コミュニティを意味しない。私が指しているのは、いつでも対局でき、戦績が蓄積し、毎日見る画面へ愛着を持ち、自分好みに整えられる継続利用の場だ。

雀魂では、麻雀の主要な機能を無料で利用できる。

無課金でも対人戦ができ、ランク戦へ参加でき、同じルールで勝負できる。課金者だけが有利な牌を引いたり、特殊な能力を使ったりすることはない。

課金によって購入できるのは、キャラクター、着せ替え、演出、装飾といった周辺要素・・・・・・つまり、Pay to Winのシンプルな勝率ではない。愛着、個性、所有感、自己表現だ。

この構造には、少なくとも3種類の利用者が共存できる(当然、これらは1人の中で重なる場合もある)。

  • 麻雀だけを遊びたい人
  • ランクや上達を求める人
  • キャラクターや装飾へ課金する人

ただ、彼らの目的は同じではない。

  • 麻雀だけをしたい人にとって、キャラクターは不要かもしれない
  • 上達を求める人にとって、着せ替えより戦績のほうが重要だ
  • キャラクターを気に入った人は、麻雀の強さとは別の理由でサービスへ金を払う

しかし、全員が同じ対戦基盤を使う。これは不変だ。

無課金者や競技志向の利用者は、人口の多い環境で対局できる。キャラクターや装飾へ課金する人は、サービスの収益を支える。その収益によって、課金による強さの差を持ち込まずに運営を続けられる。

少なくとも利用者から見える範囲では、対局上の公平性と、キャラクターや装飾による収益化は分離されている。運営の実際の収益構造までは分からないが、利用者は強さを買わずに支払いへ参加できる。

装飾へ課金する利用者は収益面を支え、無課金を含む多くの利用者は対戦人口を支える。異なる目的の利用者が、同じ対戦基盤の価値を別々の形で成立させているのだ。

麻雀だけを遊ぶ人、上達やランクを求める人、キャラクターや装飾へ課金する人が、共通の対戦基盤を支える構造図

この仕組みは、麻雀そのものの完成度が高いからこそ成立する。基本ルールへ課金要素を加えなくても、対局自体に十分な面白さがある。雀魂はその本体を無料で開放し、周辺の体験へ愛着を作り、そこを収益化しているだけだ。

雀魂は麻雀を無料で提供し、麻雀を続ける場所への愛着を販売した。その構造を成立させているのは、麻雀の本質を変えず、邪魔をしなかったことだった。

だからこそ、雀魂を「ただのアニメ系麻雀ゲーム」とだけ言うのは物足りない。

私がこのゲームに感心したのは、サービス運営としてのスマートさと、麻雀のプレイ体験最大化を同時に行っている、極めて高いレベルの設計部分だ。

ゆえに似たようなものが出てきづらい。

難しいのは、演出を増やすこと自体ではない。麻雀の進行を邪魔せず、競技上の公平性を崩さず、それでも継続利用と課金の理由を作る必要がある。この複数の条件を同時に満たす調整が、単純な模倣を難しくしているのだ。

その唯一無二のゲームである雀魂を、私は愛してやまない。できれば長く続いてほしい。そんな気持ちもあるからこそ、勝敗に無関係な4万円の課金に、何も後悔はない。


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