何気なく始めたゲームがやめられなくて困っていた。その作品の名は『Balatro』。2025年5月のフリープレイでやってきたそれは、私を実に数百時間も拘束することになる。
このゲームは典型的なインディードリームの体現だ。ほぼひとりで制作したものがバカ売れし(2024年2月20日発売→3月18日には100万本突破)、さらにはGOTYにノミネートされるまでの大躍進を遂げたほど。
しかし、私は別に「だから面白かったよ」なんて言うつもりはない。私が触ったその瞬間に上記の情報はない。そもそも、賞と個人的な没頭に因果はない。
それはそれとして現実問題、私はドハマりした。フリープレイにも関わらず(PS5でそれなりにやった上で)、Steamで購入してしまったぐらいだ。本腰を入れてやろうと思うほど没頭した。
何がそこまで刺さったのだろう。
私はそもそも『Slay the Spire』のように、手元のカードからできることを考え、少しずつ構築を変えていくゲームが好きだ。選択のたびに状況が変わり、それに合わせて次の手を考える。ひとつの答えを見つけても、それだけでは最後まで通用しないところに面白さがあると思う。
ただ、バラトロはちょっと違う。そもそも本作はスレスパライクではない。なんなら後続として「バラトロライク」というジャンルすら生まれたぐらいの別物だ。
となると私は、似てるけどぜんぜん違うジャンルに前情報無しで触れて、そこから一気にハマったということになる。これは結構珍しい。
というのも、ゲームという媒体には「面白くなるまでに覚えることが多い」という難しさがあるからだ。カードの効果を読み、用語を理解し、どの組み合わせが有効なのかを探る・・・・・・考えることを楽しみたくて始めたはずが、その手前にある説明の理解に力を使ってしまう。
そして積みゲー化する。
しかし、バラトロは最初のハードルを一切感じなかった。かといって、底の浅いゲームということでもない(もしそうなら数百時間も遊べない)。
- やることは早い段階で分かる
- 遊んでいるうちに判断が単調になるわけではない
- 少し分かると試したいことが生まれ、試すとまた考えることが増えていく
- 繰り返しを操作や演出が邪魔しない
これらをどうやって両立しているのだろうか。本記事では、バラトロを何度もやめようと思ったけどやめられなかったひとりのゲーマーが、この仕組みについて考察していく。
シンプルさの正体
数々のスレスパライクをやって共通するのは、序盤の鬱屈とした気分だ。ゲームの出来に関わらず、最初は基本的に眠たくなる。
なぜか。デッキ構築型のゲームを始めるときには、大きく分けて2つの学習がある。それが障害になるのだ。
- カードに何が書かれているかの理解
- そのカードを使って何をするゲームなのかの理解
カードを1枚見ても、そこに書かれた数値や効果が分からなければ、他のカードとの比較ができない。効果を読めても、何を達成すれば勝てるのか、使うためにどんな制約があるのかが分からなければ、選ぶ基準は定まらない。
というわけで、最初はカードの説明とゲーム全体のルールを往復することになる。
これがとんでもなく辛い。
「そこの紐解きこそが楽しいのに」と思うかもしれないが、私はそうじゃない。ルールを知って「さてやるか」という段階になり、そこからの最適化などが楽しいのであり、理解までは苦痛だ。分かりづらいローカライズなどならさらにしんどい。
まあスレスパライクにはかろうじてフォーマットがあるので、完全に新しいものへ全力で思考を使う感じはない。ただ、ライクですらそうなのだから新機軸のそれへの疲労と抵抗感は言うまでもないだろう。
にも関わらず、バラトロは開始数分ですでに思考が「面白いぞこれ」に切り替わっていた。
その理由は、カードが既知だからだ。
本作ではカードの基本的な読み方を、トランプという誰もが知っている道具にかなり任せている。
数字があり、スートがあり、絵札がある。そして基礎ルールはポーカー。これについては馴染みない人がいるかもだが、トランプを「全くの未知のカードゲーム」とみなす人はかなり少ないと思う。
「スペードのジャックって強いのかな」とかがない。そのカードが何者なのかを覚える必要がほとんどない・・・・・・これはかなりのショートカットだった。
そして、詳しくは後述するが、なんならポーカーの役やルールを知っている必要もない。同じ数字を揃える、同じスートを揃える、連続する数字を揃える・・・・・・これだけでいい。役の一覧を確認すれば、何を集めればよいのかも掴める。
さらに、そもそも必要なルールも単純だ。役を出して得点を稼ぎ、目標スコアを超えるだけ。ジョーカーはその得点の伸ばし方を変えてくれる。とにかく「要はこういうことか」というまでのルートが非常に短かった。

前述した通り、私にとっての最大級の面白さを感じる部分は最適化だ。しかしこれは、ルールや仕様を理解し、求められることややってほしいことの推測までを踏まえて、ようやく始まる。だから「面白くなる前に離脱する」は個人的にあるあるの現象。
だからこそ、初手で衝撃だった。わかりやすいのに、しかし空白部分が多いから飽きない。
ここで言うシンプルさは、内容の少なさを指しているわけではない。「面白い判断に到達するまでの距離の短さ」のことだ。
ルール理解に使わなくて済んだ思考力を、そのまま攻略に使える。 バラトロの入りやすさは、考えることを減らすためではなく、考えたいところへ早く辿り着くために働いている。
ポーカーですらないシステム
基盤がトランプという「皆さんご存知の」で通る上に、ポーカーすら実は踏み倒しているのがバラトロの特徴的な部分だ。
私は「ポーカーの役やルールを知っている必要もない」と言った。これに誇張はなく、実際、ポーカーをちゃんとやるのは最序盤だけだ。
まず、そもそも基本の手札が8枚ある時点でおかしい。本来なら5枚でチェンジをし、あれこれ思い悩むようなゲームだが、8枚なんていうハンデオブハンデの状況では、フラッシュやフルハウスすらも安定択になる。
加えて、回数の許す範囲でカードを捨て、引き直すこともできる。普通のポーカーに対して役を選ぶ余地はかなり大きい。もちろん、狙った役が毎回揃うわけではないが、確率の問題としてかなり許容されているのは事実だろう。
そして、一番ぶっ飛んでいるのは「役の強さは割とどうでもいい」ということだ。
バラトロにおいては、強い役を作ることが、そのまま高い得点に結びつくとは限らない。だから、ポーカーを知らなくてもいい。これはポーカーではなく、ポーカーっぽい別ゲーなのだから。
普通、ハイカードよりストレートフラッシュの方が強い。こういった序列は自分の好みに合わせて変わるものではない。だから、なるべく出来うる限り強い役(と設計されているもの)を作るのがセオリーになる。
しかし、バラトロでは無理して困難な役を作るのはほとんど趣味に近い。ロイヤルストレートフラッシュが揃ったとしても、それを崩してハイカードにするなんてのは日常茶飯時だ(もしポーカーでこれをやったらイカれたと思われるだろう)。
当然、バラトロにも役ごとの基礎点の差はある。だが実際の得点は、役の強化やジョーカーの効果によって大きく変わる。すると構築次第では、育てた最弱手が、初期値の最強手より圧倒的に高いスコアを出せるのだ。
となると、手札を見るときの問いも変わる。単に「この中で最も強い役は何か」では足りない。「今の構築では、どの出し方が高得点になるのか」に移行する。
加えて言えば、出しやすいことも重要なファクターになる。何度も引き直してようやく揃った5枚で2000点より、マリガンなし適当に選んだ1枚で30万点のほうが強い・・・・・・し、それができるのがバラトロなのだ。

これはもう、ポーカーを素材として使った別の遊びだ。
決められた序列の上を目指すだけでなく、どの役を自分の勝ち筋にするかを選べる。入口で役立った知識を足場にして、その知識の使い方を組み替えていく。
誰もが知っている遊びが、実はまったく違う別物でありながら、しかし知識を引き継いで遊べる・・・・・・ここに、バラトロの面白さがある。
「正解を覚えるゲーム」ではない
では、どの役でも強くできるなら、結局は強い構築をひとつ覚えればよいのだろうか。
確かに、このゲームにはセオリーがある。ポイントは少ない手数で揃えられる役を基準にするということ。これは、ボスの能力などで5枚揃えるのが難しいという理由が大きい(手札枚数が多くてもそもそも揃えにくいという問題もある)。
フラッシュよりもハイカードのほうが揃えやすいというのは言うまでもない。ならば、そのハイカードを軸に強化するのが勝ちやすい(失敗が起きにくい)ということもまた自明だ。
また、ジョーカーには強弱があり、相性のよい組み合わせもある。そして成立させやすく強力なものはたいていフルカード(5枚)未満で成立するものが多い。「ハンドが3枚以下なら倍率プラス20」などだ。
そういった効果を知るほど、目指したい構築が見えてくる。しかし、強い組み合わせを知っていることと、それを今回のプレイで揃えられるかどうかは別だ。
まずショップに並ぶものが毎回違う。欲しいジョーカーが出るまで待ち続けたくても、その前に目の前のラウンドを突破しなければならない。完成形としては不要なジョーカーでも、現在の得点不足を埋めるなら、買う理由がある。
たとえば、すぐに得点を増やせるジョーカーと、条件を満たすたびに効果が育つジョーカーでは、役に立つ時間が違う。後者はいわゆるスケーリングというジャンルのものだ(前者はフロントロードと呼ばれる)。
スケーリングジョーカーは早く手に入れるほど育てる機会を長く得られるが、成長していないなら非力で、そもそも得点が足りなければ先に進めない。だが前者で当面を凌ぐ必要がある一方、それだけを買い続けていると、今度は後半の目標に届かなくなる(伸び悩む)。

つまり、どっちかだけではなく、どっちもを破綻しないよう配分するのが安定なのだ。
ここで必要なのは、2枚の強さを単独で比べることだけではない。今の構築が、どのくらい先まで持つのかを見積もることも重要だ。まだ余裕があるなら成長に投資できる。次のラウンドが危ういなら、将来の伸びより、今すぐ増える得点に価値がある。
移行の判断も一度では済まない。狙っていた組み合わせの片方が出なければ、待つのか、別の構築に切り替えるのかを決める必要がある。ここまで育てたものを捨てる損失と、成立しない計画に資金を使い続ける損失が並ぶのは珍しくない。
これは役も同じ話で、じゃあ毎回ハイカードをメインにすればいいのかと言うと全く違う。
- 最初の時点でフラッシュ軸で行けるジョーカーがそろった
- 序盤は無双できる
- しかし終盤を考えると怖い
- だから別にスケーリングをしつつ移行先の役を育てる
こんな感じに、ビルドはセオリーがある上で、ランごとに変動する。事実「フルカードの役は弱い」と言いながらフルハウス軸で完走したこともあるぐらいだ。
いつも再現できる固定解がない。変数が多すぎるので「このジョーカーとこのジョーカーで~」と考えていても、出ないか、出たとしても手遅れの場合が割とある。以前うまくいった構築の知識は役に立つが、今回も同じ順序で買えばよいとは限らない。
強いものを知っているだけでは足りない。いつ手に入り、今のランでそれを育てる余裕があるかまで含めて価値が変わる。

この構造には、固定された土台と、その場で変わる構築の両方がある。トランプの数字やスート、役の作り方は共通の足場になる。そのうえに重なるジョーカーやデッキの改造によって、今回重視すべきカードや行動が変わっていく。
土台が分かっているから、毎回すべてを学び直さずに済む。一方、上に重なる条件が違うため、覚えた手順を繰り返すだけでは済まない。固定デッキと変動デッキの融合という見方をするなら、この2つの働きが要点になる。
バラトロの深さは、組み合わせの数だけでなく、知っていることをその場でどう使うかにある。
知識は必要だ。けれど、知識通りに組むだけ、なぞればいいゲームではない。ここに、「もう1回」の魅力がある。
悲劇とリプレイ性
この手のゲームへの批判で一番多いのは、運ゲーであることへの嫌悪だ。
- ほしいジョーカーが出なかった
- タロットの排出がカス
- あそこで◯◯ならば勝っていた
言いたいことは大いに分かる。しかし、「負けたのはそれを考慮できなかったから」というのがゲーム性から導ける答えでもある。
どうにもならない引きはあるだろう。ただし本作の敗北は、それだけで説明しきれない場合も多い。「運が悪かった」で終わらず、その状況に入るまでの判断まで遡れる余地がある。
まず、本作は確かにランダム要素の塊だ。それがリプレイ性に寄与しているのは当然の話。じゃあ敗北は必ずしもそれによって起こるのかと言うと、そうでもないと私は考える。
毎回手に入るものが違う以上、バラトロでは運による進退を避けられない。手札の引きも、ショップの品揃えも、思い通りにはならない。良い構築を考えていても、そのための材料が出なければ成立しない。
だが敗北を振り返ると、引きの悪さだけではなく、その状況で自分が何を選んだのかまで戻れることがある。
欲しいジョーカーが出なかったとしても、ショップを引き直すための資金は残っていたか。逆に、理想を追ってリロールを重ね、目の前の戦力を買う金まで使ってしまわなかったか。資金を温存した判断ですら、結果的に買い物をする前に負けたなら、使う時期を考え直す余地がある。
スケーリングジョーカーも同様だ。
育て始めるのが遅ければ、必要な得点に届く前に行き詰まる。早く育てようとしすぎれば、当面の火力が不足する。負けたラウンドで出した役だけを見るより、その前のショップで何を優先したかまで戻ると、別の選択肢が見えてくる。

本作への批判で大きいのがボスの能力だ。
「フェイス無効のやつが出てきて詰んだ。特定のカードじゃないと突破できないのはやめてほしい」
だが、これは見えていた悲劇だ。フェイスカードへの特攻を持つボスがいるからこそ、それへの対策を考えないとならない。特定のカードじゃないと突破できないのではなく、特定のカードに依存しているのが負け筋なのだ。
「このゲームはすべてのボスと対策を最初から知っている前提なのか?」という反論は待ってほしい。私も最初、メタられて負けた経験はある。
ここで言いたいのは「特定戦術に依存するとその弱点を突く要素に対して脆くなるから、勝ち筋の冗長性も構築判断になる」ということだ。
その時点から完全な対策が間に合うとは限らない。ただ、ひとつの条件に依存し切ること自体がリスクになると分かっていれば、構築の途中から予備の得点源を残すという判断はできる。
ここでは「相性の悪い相手だった」という理解に加えて、「その弱点にどこまで備えていたか」という問いが生まれる。挑戦前にボスの能力を確認していれば、それまでのショップで別の得点源を探すべきだったのか、絵札への依存をさらに強める購入は必要だったのか、と判断を遡れる。
あるいは、「これへの対策が取られたら終わりだよな」と考えておけば、緊急避難としての二次手を用意しておくこともできる。落とし穴は必ずあるからこそ、それへの対策すら手腕の見せどころになるのだ。
もちろんビルドを全部崩すのは不可能だ。ただ、フェイスカードを使わずともそこを突破できる予備の手があればいい。ただのナンバーカードにグラスを付与しておいたりでも通用する。
構築には最大出力だけでなく脆弱性管理もある。
バラトロは、今大丈夫だから今後も大丈夫、ということを教えない。たとえばよく使っている役を使うと資金がゼロになる、みたいなボスもいる。だから、本筋と予備を考えておく。これはジョーカーのスケーリング問題と同様だ。

1つのルートでいい、ならばここまでリプレイ性は生まれない。
バラトロを何度もやりたくなるその根幹には、安定を疑う要素が最後まで出てくるヒリつきにある。
良いランダム性とは、プレイヤーに対応を要求し、その対応を考え直せる余地を残すものなのかもしれない。バラトロでは、運によって崩れた計画をどう扱ったかが、次のプレイの材料になる。
敗北の後に「次はああしよう」が残るから、もう一度試す理由が生まれる。
それが、「新しいラン」を押させる発火点になるのだ。
考えることを邪魔しないUI
次は、ゲームシステムという内部ではなく、UIという見た目について掘り下げようと思う。
ここまで見てきたように、本作では考えることが多い。手札を比較し、ジョーカーの効果を読み、資金と今後の得点を見積もる。そこで何度も情報を確認する以上、その確認がしやすいかどうかは、思考の続けやすさに関わってくる。
そこで次に見るべきなのが、判断そのものではなく、その判断を支えるUIだ。確認を重さにしない、疲れないUIを分析していく。
さて、UIで注目したいのは、情報量の多さに対して確認や操作の迷いが少ないことだ。
特に、繰り返し見るツールチップの反応を挙げたい。
たとえばジョーカーを比較する時、説明を一度読んで終わるとは限らない。片方を見て、もう片方を見て、条件を確かめるために戻る。そのたびに表示の演出を待つことになると、比較していた内容の間に、操作上の待ち時間が挟まる。
それでいうと、情報を確認する際の手触りはとてもキビキビしている。動きが一切ないことではなく、操作した後も表示がゆっくり漂い、落ち着くのを待つような感覚が薄い。
今何を触っているのかが分かる微細な動き、そして情報を一瞬で確かめられるパキッとした情報表示。これによって、「確認」という何度も行う動作に不満を抱かない。

たしかに、フェードや柔らかなトランジションは、画面に滑らかさを与えられる。しかし、同じ対象を何度も確認する操作では、その滑らかさを毎回味わいたいとは限らない。
知りたいときに読めて、次を見たいときに移れる反応の速さが、そのまま気持ちよさになる場合がある。
ゲーム内の判断に悩むことと、必要な情報の出し方に悩むことは、異なる負担だ。前者が遊びの中心であるほど、後者は小さい方がよい。バラトロのUIは、情報を確かめる往復を軽くすることで、構築や選択に思考を使い続けられるようにしている。
こういった部分を総括して、本作は「面白い部分を邪魔しないための補助」としての姿勢を随所に感じる。
成果確認への快感
ここまでで、判断そのものを繰り返せる理由は見えてきた。ただ、それだけでは「もう一度やりたい」という感覚のすべては説明できない。考えた結果がどう返ってくるかも、同じくらい重要だからだ。
では、「考えた成果を確認したくなる仕組み」について考えよう。
そのゲームを繰り返し遊ぶ「中毒性」には、ゲームシステム的な部分も多分に影響しているが、それだけでは弱かったりもする。1つ考えたい。
勝つことが楽しくてそこに中毒性が生まれる場合、では、負けた場合はそれで終わりなのだろうか。
勝っても負けてももう1回となるゲームには、その過程に何か中毒性を付与する要因がある。そこで、バラトロの場合は、スコア計算の演出が大きいと考える。
スコアという結果が重要ならば、一瞬で計算し、最終結果だけを表示すればよい。しかしバラトロは、役を出してからスコアが確定するまでを、ひとつの見どころにしている。
カードが反応し、音が鳴り、数字が増える。倍率が重なり、画面の揺れも加わる。自分が組み合わせた効果が、得点を伸ばす動きとして返ってくる。
この演出が置かれているのは、プレイヤーがまさに結果を知りたい瞬間だ。まず、手札を選んだときには、どの効果が働き、どのくらいの得点になるかを予測している。そして実際に出し、その予測がどうなるかを見たい。スコア演出は、その確認と同じ時間を使って、成功の手応えを強めている。
ここでは、成功を予測できることと、結果に驚くことが両立する。
今の構築なら目標を超えられそうだと分かっていても、毎回すべての加算や倍率を厳密に計算しているとは限らない。効果がいくつも重なると、突破の見通しは立っているのに、最終的な数字は想像より大きくなることがある。
偶然発生する系の効果が重なると、予想の10倍を超えるスコアになったりもする。そうなると、思わず笑ってしまう。これを、ただ瞬間的に結果を見せられても「ふーん」で終わるだろう。
「うん・・・・・・うん・・・・・・え!?まだ行く!?まだ伸びる!?」
オーバーキルすると演出も燃えたり震えたりと派手で、「ゲームを壊している」という気持ちよさで満たされる。この擬似的な破壊が楽しくて、基準点ギリギリではなくオーバーキルを狙ってしまう。
この驚きは、何が起きるか分からないまま当たりを待つ感覚とは違う。
自分で効果を選び、組み合わせ、その強さをある程度見込んでいる。そのうえで、狙いがどこまで届いたのかが数字として現れる。目標を超えるだけでなく、大幅に上回ったときには、構築が想定以上に働いたことまで確認できる。
だから、ボスを倒すたびに別の長いムービーを挟まなくても、成功を十分に演出できる。カードの反応や得点の伸びそのものが、プレイヤーの見たい成果になっているからだ。
そこで見ているのは、自分の選択から生まれた効果の連なりだ。判断と無関係な見せ場を増やすのではなく、判断の成果が返るところに演出の重みがある。この配置が、テンポと快感の両立を支え、また壊したいという欲求・・・・・・中毒性をも生むのだ。

古典のメジャーアップデート
バラトロを初めてプレイした時、そういえばゲームってこういうものだったな、という懐かしい気分になった。
入口にあるのは、馴染みのある52枚のトランプだ。数字を揃え、スートを揃え、役を作る。遊び始めるための足場には、すでに知られているものが使われている。
実際は、トランプでもポーカーでもあまりない。バラトロとは、それらを使った別種の遊びだ。
新しい遊びを作る方法は、誰も見たことのないルールやフォーマットを生み出すことだけではない。格闘ゲームの読み合いの一部をじゃんけんのような相性関係で捉えられるように、既存の構造を別の条件や操作と組み合わせることで、異なる考えどころを作ることもできる。
誰もが知っているものを魔改造して、新たな遊びを作る・・・・・・これは、幼い頃にやっていた遊びの発明そのものだった。
そもそも追いかける遊びがあり、そこに高さや、色や、陣営を加えるだけでまったく別の遊びになる。バラトロがやっているのはこれとほぼ同じだ。
その意味で、バラトロは古典ゲームのメジャーアップデートだと捉えることもできる。
残された仕組みが理解を助け、その上に加わった仕組みが、以前とは違う判断を要求する。馴染みがあることと、新しいことが、1つの遊びの中で支え合っている。
本作が示しているのは、既知の遊びを現代的な設計で再解釈する可能性だ。トランプを入口として学習の負担を軽くし、そこで生まれた余白に、構築と状況判断を置いた。UIと演出は、その判断を続けること自体が気持ちよくなるように働いている。
見慣れたカードを前に、これまでとは違う選び方を考え始める。その変化から、新しい遊びが生まれている。
触れやすさ。やりやすさ。革命とは、割と単純な部分で起きるのかも知れない。

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